「銀河鉄道の夜」を65歳になって読みました

「銀河鉄道の夜」宮沢賢治を65歳になって、はじめて読みました。

他の童話や詩(「永訣の朝」や「雨ニモマケズ」)は読んではいたのですが、アニメやパチンコで「銀河鉄道999」を知ってるせいか、「銀河鉄道の夜」には辿り着かなかったな。

木版画・佐藤国男氏の挿絵がついた本を先に読んだのだが、1ページ目がなくて、最初の部分は別な本で読みました。
先生が銀河や天の川の話をする場面が抜けているのです。

童話と言いながら、僕のようなシニア世代になっても充分通用するものだと感じました。

銀河鉄道に乗り込む乗客は、それぞれの思いを持って乗り込み、自分なりの到着駅を目指しています。

友人のカンパネルラは、ジョバンニと最後まで一緒に行こうねと約束をしたのに、途中でいなくなってしまいます。


「カンパネルラ、カンパネルラ」
 ジョバンニは力いっぱい激しく胸をうって叫び、のどいっぱい泣きだしました。そのときです。
「おまえはいったい何を泣いているのだ」
 あのやさしいセロのような声が聞こえました。
黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた人が、やさしく笑って大きな一冊の本をもっていました。
「おまえの友だちは今夜遠くへ行ったのだ。おまえはもうカンパネルラをさがしてもむだだ」
「どうしてなんですか。ぼくらは一緒に行こうといったんです」
「みんながそう考える。けれども一緒にはいけない。おまえはさっきおまえが考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなと一緒にいくことだ。・・・」

上の部分は、原作:宮沢賢治 文:斎藤征義とあるので、創作です。

原作である「銀河鉄道の夜」では以下の通りです。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカンパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣き出しました。

原作がいいのか原作をもとにした創作がいいのかは置いて置きますが、創作の中に宮沢賢治の目指すというか宗教観というかというものが端的に書かれています。
信仰も科学もある地点では同じものだ。
それは、「本当のさいわいとは一体なんだろう」という追求です。

そういう意味では、けっして間違ってはいません。

何故なら、「銀河鉄道の夜」は童話と言うジャンルではくくれない、何か宗教書のようなものとして読んでもいいものです。

つまり、ようやく「銀河鉄道の夜」を読める年齢になったということでしょうか。

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