一文不知の愚どんの身となりて
宗教学者である<ひろさちよ>の活動が一時期盛んに新聞でも取り上げられて、僕も数冊の本を読んだが、ある時期スパッとやめた。
それは、法然の「一文不知の愚どんの身となりて」という言葉の前提というか条件として、「たとい一代の法(のり)を能々(よくよく)学すとも」というのがあるということの説明として自分たち親子の例を出した。
<ひろさちよ>の親子はどちらも東大を出ているらしく、「もう勉強なんかしなく…
ウサギ追いしかの山、コブナ釣りしかの川、今はそんな日本のふるさとも少なくなって、我らカッパ一族は都会に暮らすようになり、たまに乗馬をすることがあります。
風来坊のおいらも時には歯にきゅうりをつけぬ鋭さで書いたりもしますが、内容はカッパだけに水に、いや川水に流してください。