「向南」と書いて「きた」と読むそうです。

『日本語の歴史』浅川哲也著、東京書籍。

日本語がいつ頃から使われたのかは未だに分かりません。
だから、縄文時代にタイムスリップをしたら、現代の我々とどれほどの会話ができるのかというロマンも成立します。
でも、縄文時代に日本列島にいた人間たちが果たして「日本人」の祖先なのかを証明することの方が難しいでしょう。

ですから、文字になった「日本語」を読むことでしか古代日本語の姿を捉えることはできません。
それはいつなのかと言えば、「古事記」「日本書紀」であり、「万葉集」です。

「万葉集」は大和言葉を漢字を使って表現したものです。そこからその時代の母音・子音が分かってきます。

僕が以前読んだ大野晋氏の古代日本語には八つの母音があったという説を、著者の浅川氏は否定しています。
ここら辺になると、僕にはどちらがより正確なのかの判断をすることができなくなりますので、判断留保も多くなります。

この本で強調していたのは、「上代特殊仮名遣い」というもので、万葉仮名に二種類の使い分けがあり、それはこの時代ではそれぞれに音韻の違いがあったのではということです。
清音「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロ・モ」の13音と濁音「ギ・ビ・ゲ・ベ・ゴ・ゾ・ド」の7音で、合計20音が数えられます。

考えてみたら、アイウエオの50音図ですが、「や・い・ゆ・え・よ」と「わ・い・う・え・を」の中のイウエオが今の母音となんらかの違いがあったということの痕跡を示していたのだということは分かります。
ですから、橋本進吉・大野晋氏の古代日本語には母音は八つあったという説も理解できるのです。

その本の中にこんなものを見つけました。

・「向南」と書いて、「きた」と読ませています。
 南を向くということから方位の北を表しています。死者を北方に埋葬し、その首を北に向ける古代中国の習俗があったことと関係があるといわれています。

ネットで古代中国の地図を検索していますが、南が上にあった(つまり、今の地図と逆さま)という地図は見当たりません。ただ、軍事上・防衛上、逆さまにして見たら中国の海上への抜け道が少ないことの危機感が今の中国にはあるのではないかという説に使われていました。

また、別な説では、インドを神聖な場所と考えることから、常に南を指していることが重要で「指南車」というものも作られたとあります。京都の祇園祭りの山車も実はこの「指南車」がモデルだとも書かれていました。

もともとインドではお釈迦様が亡くなれた時に頭を北に向けたことから北は死者の方向だという説はないので、それは中国に渡ってからそう意味づけされたことなので、北枕を勘違いしてはいけないと思います。

まあ、南を向くことで頭は北の方法を示すので、理にかなっていますが、それが南が地図上では上だった説になるのかというとどうも違うようです。
これでは南下も北上も出来ないので、よく分かりません。

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