我々が住人で、彼らは通行人だ

昔むかし、僕が青年だった時・・・

ある職場の労働組合の青年部の機関紙に「我々労働者は住人で、管理者は通行人でしかない」という表現がありました。

その機関紙を作っていた青年部のリーダーは優秀な人で、結局のところその青年も「通行人」になってしまったのですが、その当時はその表現力にびっくりしました。

管理者の任期は2・3年がほとんどですから、その者たちが行う職場での施策は上の評価だけを考えたものなので、本当にその職場に必要かどうかは関係ないのです。

だから管理者が変わるごとに今までそれをやれと言われていたことがスル―されるのです。これでは職場の人間はたまったものではありません。

労働組合運動というものは、もともとが保守的な考え方になります。
保守的というのは政治的な意味ではなく、今の自分たちの労働条件をいかに後退させずにいるか、あるいは少しづつでもよくするかという考えに立ちます。

そうなると、会社側の合理化施策は労働条件を激変させる可能性が大ですから、基本的には反対の立場にたちます。

労働組合でも、会社の利益のおこぼれを労働者が貰えればいいんだ、或いは会社が成長すれば労働者のおこぼれも多くなるから合理化に賛成だとするグループもいます。

僕が望む労働組合の像は、どうしても現状維持を望む姿になります。

携帯を現す言葉で言えば、ガラパゴス的組合になる可能性を含んでいます。

時代の変化とかグローバル化とか言うことが中身の吟味もなくなんとなく肯定的なものとして流通している時は、僕が考える労働組合はますますガラパゴス化していきます。

グローバル化対ガラパゴス化の戦いのようにも見えます。

少し前までは、完全にグローバル化が勝っていましたが、今になって見るとガラパゴス化はけっして時代遅れではなく、一周回って先頭に立ちそうな雰囲気もあります。

つまり、冷静になって考えて見ると、何のためのグローバルなのか、それによって我々が何を得て何を失っているのかの検証をきちんとすることが必要だということです。

ところが、政府はこれからの経済成長のために海外から観光客を呼び込む、その手段としてカジノの大規模施設もOKとすると発表しています。

観光客はまさに通行人です。その者たちがお金を落とすことを期待しているのでしょう。
そのお金である程度の人の就業が確保されるのは事実です。

でも、多くの観光地がそうであったように、観光客のための街はどこかいびつです。
通行人が行き来しやすい町作りがそこに住む住人のためになっているのかを考える時、僕は疑問しか湧きません。

今の日本の政府は日本の各地を通行人でしかない観光客のための街にすることを推奨しています。

それでいいのか、僕は疑問でいっぱいです。

この記事へのコメント

ラベンダ
2018年07月06日 00:14
文化遺産好きの自分としては、故郷の近くにある「姫路城」または「仁徳天皇陵」に観光客(国内外問わず)が訪れてくれたら、金を落とす落とさない抜きにして結構嬉しい気持ちになる方なのですが(単純ですね)、カジノをその地付近に建設(そして観光客誘致)となると二重の意味で疑問ですね。
自分がカジノなど賭博全般に「苦手意識」があるのが一つの理由になりますが、もう一つはなにより賭博目当てでわざわざその地に訪れる観光客などそんなに居るのかが疑問であり、居たとしても「賭博目当てで来る人」は「観光客」や「通行人」などと呼べるような可愛い人物ではない気がします。ましてや健全な住民はカジノなど望まないでしょうし、一体、誰のために作るカジノでしょうね。

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