承安四年三月の厳島御幸

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厳島神社に行った際に購入したミニ鳥居です。
海面に少し沈んだ雰囲気を醸し出しています。

「この年の三月十六日の暁、両院(後白河院と建春門院)は、公卿や殿上人の供奉のもと都を出立し、福原から迎えに参上した清盛(平氏)の先導によって彼の福原の別荘に逗留され、十九日、厳島に向われ、神社に参拝ののち帰途につき、途中、備前国に暫く駕を駐め、四月九日、都に還幸された。」(『日本の後宮』角田文衛著)

そのあと文章は、両院揃っての御幸は「歴史上、例をみない」と記述しています。

後白河院は、厳島へ行った際の状況を自然描写とともに『梁塵秘抄』「口伝集」に記しています。

>安芸の厳島へ、建春門院に相具して参る事ありき。三月の十六日、京を出でて、同じ月二十六日、参り着けり。宝殿の様、廻廊長く続きたるに、潮さしては廻廊の下まで水湛へ、入り海の対へに浪白くたちて流れたる。対への山を見れば、木々皆青み渡りて緑なり。山に畳める岩石の石水際に黒くして峙(そばだ)てたり。白き浪時々うちかくる。めでたき事限り無し。思ひしよりも面白く美ゆ。その国の内侍[厳島の巫女]二人、黒・釈迦(美人で名高かった二人である)なり。唐装束をし、髪をあげて舞をせり、五常楽・狛鉾を舞ふ。伎楽の菩薩の袖振りけむも斯くやありけんと覚えて、めでたかりき。

上記のすべての文章は、『うたげと孤心』大岡信著より、引用及び抜粋をしています。

http://www.miyajima.or.jp/sightseeing/ss_itsukushima.html

現代の我々が、厳島神社に行った際も同じような情景に出会えます。
千年の時を超えて、同じ情景の中に我々が立っているのは何とも奇妙な感じです。

厳島は、島そのものが神であると聞いています。
ですから、神社の鳥居を島の土地の上ではなく海上に置いたと言うのです。

もともと神と言う存在は、島そのものや森、石という自然物の中にあるという認識だったようです。

ですから、神を祀る社として人工建築物である神社が作られたのは、朝鮮半島からの渡来人によると書物で読んだことがあります。

今のように神社と言う建築物を有難かるのも仏教伝来がその道筋をつけたようです。

その辺の事情は以下の著書が参考になります。

「原始の神社をもとめて」「神社の起源と古代朝鮮」(両著とも著書は岡谷公二氏です)

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