あの戦争と大日本帝国の破綻「持たざる国への道」松元崇著

本の帯裏にある著書紹介では、1952年生まれで2012年より内閣府事務次官に就任とあります。
そういう人物が、先の戦争(シナ事変から日米開戦、そして敗戦までの過程)を総括するものなので、どこまで期待できるか不明ですが、著者は大蔵省畑(今は財務省だっけ?)を歩いていますので、金融面から、また戦争の財政的バクアップの面から検証しています。

当時の国定教科書
「第十五 昭和の大御代 二 大東亜戦争
 我が国は、さきに内鮮一体の実を挙げて、東洋平和の基を築き、今また、日満不可分の堅陣を構えて、東亜のまもりを固めました。(中略)米・英の両国は、重慶政府を助けて、シナ事変を長引かせるばかりか、太平洋の武備を増強し、わが通商をさまたげて、あくまで、我が国を苦しめようとしました。しかし、我が国は、なるべく事をおだやかに解決しようと、昭和十六年の春から半年以上も、誠意をつくして、米国と交渉を続けましたが、米国は、かえって我が国をあなどり、独・ソの開戦を有利と見たのか、仲間の国々と連絡して、しきりに戦備を整えました。こうして、長い年月、東亜のために尽くして来た我が国の努力は、水の泡となるばかりか、日本自身の国土さえ危なくなって来ました。
 昭和十六年十二月八日、しのびにしのんで来た我が国は、決然としてたちあがりました」(初等科「国史」下、昭和十八年)

これは日米開戦に至る日本政府(というより歯止めの効かない軍部が米国を戦争に引っ張り込んでしまった事態)の辻褄合わせのいい訳である。
日米開戦が、アメリカや英国の日本包囲網が出来てどうしようもなくなったから、日米開戦に踏み込まざるを得なかったといういい訳で、あるサイトでは、世界を支配しているユダヤ資本がアメリカをそのように誘導し日本を日米開戦に巻き込んだと書いていて、後出しジャンケンだといくらでもこじつけが出来るものだと妙な関心をしてしまいました。

この本では、当時の日本が本当に経済に困窮していたのかと言うことから書き始めています。
もちろん、当時の日本は日清戦争、日露戦争と大きな戦争をして、その軍事費の後始末が大きな問題でした。この軍事費調達のために何をしたかと言うと外国債の発行だそうです。

もちろん、増税や新税或いは厚生年金の創出のようにお金を国民から徴収する方法をいろいろ作るんですね。そして、戦争末期には<欲しがりません勝つまでは>というスローガンを作り、予算のほとんどを軍事費につぎ込む姿があります。

つまり、戦争をするのも、戦争の後始末をするのも、結局のところお金なんですね。
だから、世界の投資家・お金持ちの意向が状況を左右する事もあるようです。

「その当時の日本の勢いというものは産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する。(中略)英国を始め合衆国ですら悲鳴をあげている。(中略)この調子をもう五年か八年続けて行ったならば日本は名実共に世界第一等国になれる。(中略)だから今下手に戦などを始めてはいかぬ」(二・二六事件当時の宇垣一成陸軍大将が戦後に語ったこと)

つまり、生活の窮乏化が英米のブロック経済が「持たざる国」である我が国を追い込んだのはなく、経済原理を理解しない軍部(軍事戦術・戦争戦略もただただ精神訓の延長しかなかった)が満州経営や華北経営を強引に推し進めたために、国内の経済をじり貧に持っていったのです。
これを当時の政府予算の攻防として、軍備費だけが会計処理を通さない別会計として作られていく過程が書かれてします。

これには、5・15事件や2・26事件などにより政府要人が暗殺される事件が頻発し、首相になることを辞退する人たちが続出したことが大きいと言えます。

明治憲法における首相の存在は、天皇との関係が微妙でありその権限も明確なものではありませんでした。ただ、明治初期の頃は、明治の新体制を作った人物が大きな発言力があり、そこには軍部を抑える力もありましたが、日清戦争・日露戦争と戦争に負けない日本という虚像が作られた結果、朝鮮・シナ・満州からアジア全域に渡る<円経済圏体制>として構築しようとする構想が出て来ました。

それは経済的な発展論理からではなく、政治的イデオロギーからの発想によるものであったために、その進展はすべて軍部の思い入れと捏造で左右される形で進められました。

一番の問題は、収拾の道筋も責任も誰も負わない日本独自の体質がそこにあり、あたかも自分たちは頑張ってきたが状況がそれを許さなかった式の言い逃れが残りました。

そして、戦後もそういう<日本>が生き伸びたのです。

ただこの本問題点があります。
日本帝国主義の朝鮮統治の問題が書かれておりません。何故なんでしょうか?
日韓併合と言う形の朝鮮統治は日本の政府予算としてどう扱われていたのかを書くべきです。
なにか意識的に避けたように思います。

現代の我々からすれば、なぜ朝鮮の植民地化なのかということです。

西欧のアジアにおける植民地政策が、少数の支配者と隷属する大勢の民という構図を思い浮かべ、なにか人間味がない支配図式だと勝手に想像しますが、支配される側にしてみれば親身であろうがぞんざいであろうが支配されることには違いはない訳で、植民地を行なう側の自己弁明です。

ですから、朝鮮や中国に対する日本の行動に免罪符がある訳ではないのです。
日本の朝鮮統治はフェアなのもので、朝鮮の民主主義や経済発展に貢献したと言うのは、後出しジャンケンそのものです。そんな博愛の精神のもと植民地政策が行われたと言う話は聞いたことがありません。

この朝鮮・中国に対する日本の態度は、古代まで遡るDNAの問題のような気がします。
血液によるDNAミトコンドリアによる分析によると韓国人(胎盤による研究のため、北朝鮮の人たちの胎盤は資料としてない)と日本列島に住む人は遺伝距離がゼロだと言う指摘があります。

日本が朝鮮半島や中国にすぐ目が行くのは、距離的に近いだけでなく、文化的交流や人的交流が古代からあったために、情緒的な反応が強いのだと思います。

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