浄土三部経に出てくる数字は、白髪三千丈すら及びもつかない

浄土三部経は、浄土真宗教団の多くが「経典」として採用しているが、2度しか読んでいない身としては、そこに書かれている数字は一種<大ぼら>(大風呂敷というより、ほら吹き加減が異常だとしか思えない)としか読めない。

もちろん、愚かな人間が仏様のお姿を思い浮かべるためには想像もできない形状を形而上学的に示す必要上、あのような表現になったと言われるだろうことは分かるのだが。

劫、由旬とか、ガンジス河の砂ほどの数の仏様、二百一十億の仏様、三十六百千億の仏様、
なんか中国得意の<白髪三千丈>ではないのか。

この経典が、なんとか訳とか書いているが、中国で創作されたものではないのか。

大乗仏教がお釈迦様が亡くなられてから500年後に言われだしたことを考えると、仏説観無量寿経の三種の善い行いの「大乗の経典を口にとなえて」「大乗の菩薩様たちとも御一緒であった」と書くこと自体が、創作されたものであることを証明しているのではないか。

と言っても、その経典を<本願寺>のもので読んでいるのだから、間違いを指摘しようにも日本語訳が間違っていますと言われればそれまでだが。

それなのに親鸞信者(教団の側からすれば、開祖なのだから上人とか聖人とか、あるいは親鸞さまと、呼び捨てにするなといわれるが、尊敬しているのと呼び方は違うのだ。マルクス様、レーニン様と呼ばないのと同じように、親鸞の向かっている地平はそんな次元ではないのだ)
と自称するのは、宗教がなりたつのかさえ危うい地点まで進んでいる彼のすごさがあるし、それにすがりたいと思う自分がいるからだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック