廃仏毀釈と靖国神社

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このカッパを贈られた時に、<乞食>と言う言葉が思い浮かんだ。
<乞食(こつじき)>とは仏教用語で、修行の一つとして他者から施しを受けることを言います。
また、修行僧は施しでもらった布でもわざと裁断をし、袈裟色に染めて着たといいます。
華美な服装をしないという戒律があるからです。
こんなカッパの姿にも、修行僧を見てしまいます。

「日本人が思想を語る時、お経のようだ」と養老猛が言ったそうだけど、確かに仏教は外来思想でありますが、漢字文化輸入と同じ歴史があり、日本人が思想を語る上でなくてはならないもののような気がします。
漢字文化の輸入抜きに、<思想>や論理はありえないのが真実ですし、漢字に訳された中国仏教の輸入は、当時の知識人を圧倒しただろうと想像できます。

その仏教への弾圧が、明治維新にありました。廃仏毀釈です。
それまでは、神社と寺社が一緒にあったり、坊さんが神官を兼職していたり、神社の神体が仏像であったりしたことを、国家命令で禁止したのです。
全国的にあった寺社が次々と破壊されました。
寺社への破壊はすざまじく、富山県では1600以上あったお寺が、6寺までに減ったという史実が残されています。

その元凶が、王政復古の大号令です。
明治政府は、天皇を中心とした国つくりを目指し、神道国教、祭政一致を追求していくのです。
ここで、それまで隅に追いやられていた神道が、<天皇>の力を借りて前面に出て来るのです。しかし、日本古来の思想とは、結局のところ天皇神話を語ることでした。
そういう意味で、体系的な思想をもつ仏教が目の仇にされたのは、必然でもありました。
<靖国神社>が作られたのは、こういう時期なのです。
天皇を中心とした国つくりの象徴として、作られたのですから、それが今更「今の平和を築いてくれた戦没者を<神>として祀ります」といっても、説得力はありません。

昨年、国家権力を握っている立場の小泉首相が、靖国神社参拝に関して、<個人の自由の権利>を言ったのには、笑わされました。
<個人の自由の権利>は、国家権力に対して守るべきものなのです。

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