ベ平連って知っている?・・・ブルブルカッパクッションの独り言

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まず自己紹介をします。ブルブルカッパクッション。
突然、我が家にきた時のことです。
家のチャイムが鳴って出てみるとペリカン便の配達員。なにか大きな荷物を抱えています。「どこどこから来ました」どこかの漬物屋の名前です。「それはなんですか?」と聞くと配達員曰く。
「ブルブルカッパクッションです」
50過ぎの配達員がまじめな顔をして答えたことが、今でもおかしくて笑ってしまいます。

ちょっとマジな話をします。
今日の訃報見ました?小田実死去。
小田実と聞いてすぐ思い浮かべるのは、「ベ平連」。
「ベトナムに平和を!市民連合」略して「ベ平連」。1970年代の話です。
「ベ平連」とは、学生運動のようなラジカルな統一が取れた運動ではなく、労働組合のような動員でもなく、誰もが自由に参加できる、あるいは離脱できる運動体です。組織ではなく運動体です。<ヌエ>的運動体と評した人もいました。いわばそういう運動体をはじめて日本で作った人です。
この誰でもが入れて、離脱できる。つまり、出入り自由の運動体(組織)は、考えるほど簡単ではありません。つまり、誰が<仲間>であるかを特定しないからです。
自分一人でも「ベ平連」と名乗れば、それで「ベ平連」なのです。

何故、こういう運動が可能であったのかを考えれば、学生という未社会人の階層が大量に生み出されたと言うこと。同時に、地縁や会社縁のしがらみとは距離を置く<市民>という階層が生まれたという要因が大きいと思う。つまり、高度経済成長によって少し余裕のある労働者階層=ホワイトカラーが出現したからではないかと思う。
現代においては、インターネットが<仮想市民>を大量に生み出しているが、それは実体化した階層ではないので、噂の大量流布以外になんの力ももたないだろう。

もう少し、「べ平連」が創出した価値観を見よう。
運動体でありながら<仲間>を特定しない。このことのすごさがどうも見過ごされているような気がする。
この<仲間>を特定しない、強要しないことが、現代の日本が抱える問題を解くキーワードになるような気がする。

学校のいじめは、つまるところ<仲間>の問題だ。<仲間>を特定し、強要する。それは趣味でも遊びでも、自分達と違うことをする人間を許容できないことから生まれる。
<仲間>から抜けた者や<仲間>に入ろうとしない者が、何か言おうものなら「あいつは、私達の悪口を言いふらしている」などと邪推して、いじめたりする。
それは、男の子でも女の子でも変わらない。

社会ではどうだろうか?出入り自由の組織がどれほどあるか?
インターネット上では可能でも、それ以上は無理だろう。
<連帯を求めて孤立を恐れず>
現代の日本、学校も社会も群れたがる傾向はやまない。

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