人間が忘れてきたもの

小川洋子さんの「ことり」という小説にあったと思うのですが、人間が忘れていた言葉を小鳥たちは今でも記憶していて語らっている、それは「愛の言葉」だという話です。

なんかロマンチックな話ですが、多くの動物の言葉は、仲間に危険を知らせる啼き声や外敵や恋敵である相手への威嚇の他は、ほとんどがオスからメスへの求愛行動に伴うもののようです。

鳥のさえずりも啼くのはオスだけだと聞いたことがあります。

で、そんな鳥のさえずりも含めた自然の音を、我々日本人は言語脳である左脳で聞くことが分かっています。しかもこの地球上の人類の中でもポリネシア人と日本人だけだというのです。

それ故か、中世から近世にかけて培われた日本人の死生観にその兆候が見て取れます。
それは顕著に武士の最後に表れてきます。

敗者になった武士が敵に囲まれながら、辞世の歌を詠んで切腹するという場面です。
これは自然と同化しようとする意志のようでもあります。

敵に囲まれた敗者は敵に首を刎ねられるか自害するしか道がなかったのですが、それでも敗者が辞世の歌を詠むことを敵も味方も許容する空間がそこには存在しています。
存在しているのではなく、そこにできあがったという方が正しいかも知れません。

そういう時空間を敵も味方も一緒に作り上げる共通認識がすでに了解されています。

それが時代のせいなのか、自然の音も左脳で聞き分ける日本人の特性のなせる業なのか、正直なところ断言はできませんが、太平洋戦争の中で特攻隊として死んでいく学生たちの多くが辞世の歌を詠んで死んでいった事実に繋がるのだと思います。

戦争の意味などを問うことさえ非国民としてのレッテルが張られる状況下では、辞世の歌しか残せなかったとも言えるかも知れませんが、現状認識に関する冷徹な言語化の作業は日本人の一番不得意な分野だからとも言えます。

2021年の日本では、コロナ禍の状況下において、政府自民党から憲法改正の議論が再度提起されています。
しかし、肝心の中身が不透明で、「時代にあわない」などの上っ面の言葉が先行しているのです。

まさに何のために現憲法を改正するのかが明らかにされまま動き出しています。

電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもぜ~んぶ「日本国憲法」が悪いのよという論理です。
都市においては電線の地中化が進められ、郵便ポストの色も形状も自由化されていますが、「日本国憲法」の改正論議だけは旧態以前の姿のままです。

僕には、憲法改正論議をしている政府自民党が目指している日本の理想像は、中国や北朝鮮、あるいは軍事クーデターのミャンマーのような強権国家なのではと推測します。

安倍や菅政権が行っている政治の手法をみれば、<民主主義>を土台にした政治をしているようには見えません。
政府自身が自分たちが行っている或いは発言している記録である文書を改ざんしてしまうのは、まるで韓国ドラマにでてくる悪徳企業家のやり口そのもので、これでは政治とは謀略での対決でしかありません。

そうは言っても、小選挙区の現状では勝ち負けが極端に反映されますので、選挙結果イコール民意とは言えません。
どうしたものか。

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