まだ午後九時を過ぎたばかり

今日の朝食は喫茶店のモーニングで済まそうと、昨日から決めていた。それで、朝の9時半過ぎには家を出て「むさしの森」に向かった。
帰りには通り道のスーパーにもよるつもりなので、マイバッグと喫茶店で読む本をリュックに入れていた。

わが家のブームは、なかにし礼。

それで、リュックに入れた本もなかにし礼の「兄弟」と「長崎ぶらぶら節」の二冊。

なかにし礼が亡くなってからBSでは特集番組が何度か放送されている。
その中でも、なかにし礼本人が満州からの引き揚げのこと、14歳年上の兄貴のことなどを赤裸々に語っていた。
しかし、それが人生の話に終わるのではなく、歌の作詞の内容にも深く関わっていることが分かり、ますます興味が湧いて来たのだ。

例えば、「石狩挽歌」という曲の歌詞は、ニシンが浜にこなくなり漁が廃れていく内容として理解できるのだが、そこには戦争から帰ってきた14歳年上の兄の博打のようなその後の人生が底流に流れていたことは本を読むまでは分からなかった。

ただ、なかにし礼自身にも見られる少し気障っぽい斜に構えた雰囲気が実は兄の幻影ではなかったかと他人の目として感じるのも事実だ。

そんな本を二人して、喫茶店で読んでいたものだから、女房はいつになく早々と布団に入ってしまった。
だから、こんな時間なのに一人パソコンをいじっている。

それから、いつもは年に数度は夫婦で自宅に伺ってお喋りをしている友人からの手紙が来た。
「月刊おたる4月号」に頼まれて詩を書いたとその雑誌を同時に送ったきたのだが、こんなご時勢、他人の家にお邪魔するのは難しい。

そういえば、喫茶店や食事のお店にもこの間行っているが、パーテーションとかいう仕切り板をしているところに出会ったことがない。席を少し離してというそば屋さんはあったが、他のお店でもコロナ禍前との違いは、玄関のアルコール消毒液ぐらいなものだ。

札幌のお店はいい加減なのかな?
北海道知事は「北海道スタイル」とかカッコいい言葉を使っていたが、あれって何のことなんだろう。

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