日本的なもの、朝鮮的なもの

『文学の原像を求めて』奥野健男著、潮出版社刊。
昭和48年9月25日発行と書かれています。僕が20歳になる年です。

奥野健男氏は、太宰治の評論か何かを読んで信頼できる人間として、続けて読んだのだと思います。

文学が好きとか評論・批評が好きとかいう前段に、信頼できるかどうかが僕の読書観の基本になっています。
まったく狭い料簡の人間だといわれそうですが、そこは譲れません。

「三島が<日本的なもの><優雅なもの><美的なもの>とかに加えていたものは<古代朝鮮的なもの>にしかすぎない。また三島が、<サムライ的なもの>と考えていた理念はわい小化された<古典中国的なもの>にしかすぎない。」

この文章は、三島由紀夫の割腹自殺に触れた吉本隆明の文章の一節で、奥野健男は「ぼくの魂の奥に突き刺さった」と言わしめています。

「三島由紀夫も吉本隆明も、そしてぼくも、共に生き死にを賭けてくぐってきた戦時中の思想体験、美的体験を想い出し、それから四半世紀にわたるそれぞれの精神の悪戦苦闘の履歴と帰結を想い、名状しがたい感慨に襲われたのだ」

三島由紀夫の自死に関して、吉本隆明ほどの厳しさで語った内容を寡聞にして僕は知らない。

僕自身は、「全共闘」世代のすぐ後の年齢だけど、三島由紀夫の自死に何の感慨も覚えなかった。
自衛隊駐屯基地に出向き、普通のサラリーマン的な自衛隊員に向けて決起を促す演説をしたというが、パロディとしか見えなかった。

もしかしたら、三島由紀夫は、戦後30年になろうとする日本文化に大きな空洞が見えるのは、日本がきちんと敗北できていないからだと考えた結果かもしれません。
そうでなければ、あのような行動をとれるわけがありません。

戦時中の軍隊の話ですが、古参兵が新兵をイジメて殴ったりするイメージがありますが、軍隊で人を殴るのはほとんどが大学出の将校だという話です。真偽のほどは確かめようもないのですが、現代の教育界でのイジメ処理や通達を見ても、どうもそれは真実に近いような気がします。

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