今は、オリンピックより、改元の時機なのでは・・・

『大化の改新』北山茂夫著、岩波新書刊。
初版が1961年で、僕が購入したのは1970年第12刷発行の本です。

何歳の時に購入したのかは不明ですが、おそらく20歳以降だと思いますが、50年近く前です。

図書館の本がないので、書棚から引っ張り出して改めて読み返しましたが、現代日本の状況は、改元をしなければならないような事態に陥っているのではと感じます。

令和天皇家とその周辺にまつわる不穏な空気が、社会の中に物の怪のような正体不明の疫をもたらしている、などと昔の占い師なら述べたのではないでしょうか。

それにしても、大和朝廷の国作りとは結局、権力を我が物にしたいという欲望の歴史そのものだったのではないかという印象が強く残りました。

各地方ごとの豪族が支配する形から、天皇を頂点とする大和朝廷としての支配機構にする過程において、民がいかにぞんざいに扱われたのか、行き倒れのことを書いた記述に接するとそのことが分かります。
つまり、労役にしても、各地方ごとの場合は移動距離はそれほどではないのですが、いざ、この里(おおよそ50戸平均)から何人の男子の労役を都へ出せとなると、その移動距離は半端なく、野宿しながらの旅のため、途中で力尽きて行き倒れになる民も多く出ました。また、この頃の考え方なのか、外の者が村の近くで野宿しながら火を使うことを極端に嫌うらしく、いざこざが絶えなかったとあります。

あと、朝鮮半島とのつながりは現代の我々が考えるより、密だったことが分かります。

「大化の改新」というクーデターというか暗殺というか、その場面において、朝鮮半島の影が色濃くあります。

上記の本より、
>かれらは(中大兄と鎌足)ついに645年6月12日を、入鹿を暗殺する日に定めた。そして決行の場として皇居内のある政庁をえらんだのである。この日に三韓の調が朝廷にもたらされるとし、女帝をして諸貴族の参集を求めさせた。その家の歴史からいってとくに対韓外交に関心の深いはずの入鹿が、その儀式に姿を見せることは確実であった。

いわば、周到に準備された暗殺劇だったのです。

>この流血の騒動の場から脱出して宮殿に馳せ帰った傷心の古人皇子は、側近の者に「韓人(からびと)鞍作を殺しつ」と語ったという。

当の首謀者である中大兄を指して、何故「韓人」と言ったのかは不明ですが、国作りの過程の中になんらかの朝鮮半島の影響(帰化人とか渡来人を含めて)を感じ取っていたのかも知れません。

呪われた東京オリンピックになったという人もいますが、実は呪われているのは「令和」かも知れません。
「大化の改新」の時代なら、早速、改元をする準備を始めるでしょう。

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