水天宮のことを書こうと思っていたら雨が続きます

https://otaru.gr.jp/column/ishibashi_yachiyo
小樽にある水天宮神社です。

家が近かったので子供の頃は何度か遊びに来ました。
海側からは長い石段の階段を上って高台にある水天宮に行きました。

https://ameblo.jp/moekira0527/entry-12300691099.html
こちらの方が全体の雰囲気が分かるかも知れません。

石川啄木の歌碑があるんですね。

かなしきは小樽の町よ 歌うことなき人人の聲の荒さよ

石川啄木が小樽の新聞社に勤めている時代は、それはそれは活気であふれていたのだと思います。多くの人々は一旗揚げようと勇んで小樽に稼ぎに来ていたんでしょうね。

何故、水天宮が思い浮かんだのかというと、読んでいた本に書かれていたからです。

『原始仏典を読む』中村元著、岩波現代文庫より。以下は僕の約文です。

お釈迦様は自分が死んだら法に従えと言っていたそうです。

「法」はもちろん中国での訳語です。インドの昔のことばで「ダルマ」(dharma)といいます。
法という言葉を使いますと法律という言葉連想され、狭い範囲での決まり事のようなものを思い浮べるかも知れません。

このダルマは、人が守るべき規範という大きなものから、慣例とか風習、習慣という社会の構成員がうやまい、守らねばならないこと、つとめ、義務という身近なものまでも指していたそうです。

インド人はこのダルマを雨水にたとえています。
「実にダルマ(法)は水である。それ故にこの地上の世界に雨水が降ってくるときには、この全世界は法に遵う。しかし、雨が降らないときには強者は弱者の物を略奪するにいたる。なんとなれば法は水であるからである」

例えとしては分かりやすいものではありません。
乾燥した大地に恵みの雨が降ってくるイメージとしてダルマを雨水に例えたのでしょうか。

ダルマは雨水に例えられましたが、このダルマを司る神はヴォルナ、天空の神だそうです。天空をギリシャ語で「ウラノス」と言いますが、語源的には同じです。

そのウラノス、つまりヴォルナは、天空から人々を見守っていて、悪いことをする者に対しては、「悪いことをするな」と罰する。
このヴォルナは後に水の神になります。何故かと言うと、天空から雨が降ってくるのを見て水が天空にあると考えたのでしょう。

それが仏教に取り入れられて水天になるのです。

つまり、水天宮はもともとは天空の神様だったのです。

仏教に水天の神が取り入れられて、日本に渡って来てからは神道がそれを拝借したということでしょうか。

だって、水天宮は神社ですからね。

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