歴史と出来事

『いま戦争と平和を語る』半藤一利 井上亮遍、日本経済新聞出版社。

>もう一ついけないのは、近衛文麿が政府と軍部との合同会議を開くということをやりだした。のちに「戦争指導会議」になる「大本営政府連絡会議」です。あの連絡会議というのは政府と軍部が対等の立場だから、軍部が従だとはならないんですね。そこで連絡会議の決定は、どちらの主導か曖昧のまま、国務と統帥の一致した決定ということになる。この会議の結果を御前会議で天皇は黙って聞いているけれでも、「ノー」といわなければ国策になる。それは大元帥としての決定なのか、天皇陛下としての決定なのか、わからないときがあるのです。 
 とこどき軍事問題を決定しているんです。そのときは天皇の決定ではなく、明らかに大元帥の決定なんです。たとえば満州事変です。天皇はもちろん、首相の若槻礼次郎ら政府が「どうしても拡大はだめだ。朝鮮から出兵するなんてとんでもない」といっているときに、参謀総長が直接頼みに行っても大元帥陛下は「ノー」といって追い返す。
 そこで陸軍は考えて、朝鮮軍を独断で越境させてから内閣の閣議で特別予算を審議するようにもっていく。それを陸相が報告すると、若槻が「何だ、出たものはしょうがないじゃないか」といって、これを内閣が承認する。
 その内閣の承認を天皇陛下のところへ持っていくと、天皇陛下は「これは内閣の一致した承認だから」といってオーケーする。それで軍部は「勝った、勝った」といってワーッと行っちゃうんです。ああいうのを見ていると、大元帥陛下としては「ノー」といって追い返しているのに、天皇陛下としてはオーケーしてしまう。
 昭和史の決定の中にはそういうことがたくさんあります。

上記の本は、井上亮氏の質問に対し、半藤一利氏が答えるインタビュー記事のように見えますが、対談での話し合いを読みやすくした形かも知れません。

昭和天皇の戦争責任を考えた時に、大元帥陛下としての立場と天皇陛下としての立場の2つの役割があったと半藤一利氏は書いています。

と言いますのも、「昭和天皇は明治43年にできた皇族身位令によって、軍人として育った唯一の天皇なんです。昭和天皇は満十歳から少尉になっている。軍人として育てられたんです。ほかの皇族も軍人になる」という記述もあり、軍の統帥権をもっていたと考えるのが自然です。

ただ、政治においてもそうですが、天皇が行う権限は承諾をしないということによって自らの意思を示すだけであって、方向性を示すという行為は唯一、終戦の決断をするという部分にしか見えません。
それが三種の神器や皇族存続のためにした決断であったのかは、よく分かりません。

僕は、半藤一利氏が書いた『日本のいちばん長い日』を読んだのですが、昭和20年8月15日をめぐる緊迫した状況を歴史の一コマとして見る見方もあるのでしょうが、もし、一部の軍人によるクーデターが起きて天皇が監禁され、敗戦が先延ばしになる状況が起きた場合を想定しても、それが不幸の出来事だとは言えないだろうと思います。
むしろ、軍部をはじめとしたその当時の支配層は、徹底的な敗戦を味わうべきだったのではないかとさえ思います。

でも、彼らは常に自分たちは安全なところにいて、命令をするだけですから、しまいには敗戦の責任を国民に押しつけ「一億総懺悔をしろ」と恫喝するだけでしょうね。

皇居内の終戦の一日の出来事は確かに歴史的な出来事ですが、それは歴史といっていいものかどうか疑問です。

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