天皇の仮廬はキャンプじゃなくて京(みやこ)ですか

『万葉の詩情』吉野秀雄著、彌生書房刊。

秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の京(みやこ)の仮廬し思ほゆ

額田王の歌とあります。女性です。
現代語訳としては、「あの秋の野のススキを刈って、そして屋根を葺いて宿りました宇治の京のあの掘立小屋が思い出されます(懐かしくという思いも込めて)」というような内容です。

上記の歌には、宇治の京(みやこ)と歌っていますが、この当時の都が宇治にあった訳ではありません。都があったのは、飛鳥(明日香)のあたりです。
ナビタイムでおおよその距離と徒歩での時間を検索したら、25キロ程度で6時間弱とあります。
天皇の行幸ですから、ゆったりしたものであったことを考えれば、8~10時間は費やしたでしょうか。

普通、都とは国家権力の機関が集まっている場所を指す訳で、当時でも天皇のお住まいの皇居がある土地が都になります。
それなのに、何故宇治の京(みやこ)と歌っているのか、それはどういう訳なのかというと、この歌は天皇の行幸の途上でのもので、天皇がどこかへ出かけるということは国家権力の移動な訳で、その途中で仮ではあっても居を構えるということはそこが都になるという考え方がある為です。

ですから、今から考えればこれは天皇の野外キャンプなのですが、政治的な意味では都の移動となるのです。

わが背子は仮廬作らす草(かや)無くは小松が下の草を刈らさぬ

作者は、間人皇女(はしひとのひめみこ)。
現代訳としては難しいものではありません。「わが背子」はだいたいが女性が男の人に対して用いる言葉です。親しみを込めてという感じです。
野外キャンプ地になった仮廬の設営の話です。
こっちの草(かや)で足りないならあっちの松の下にもあるんじゃないのという気軽な感じを受けますが、相手は兄の天智天皇らしいのです。
とすると、妹が仮廬を作ろうとしている兄に、ちょっと茶化して「頑張って!」なんて言ってるようにも見えますが、一応は敬語法での書き方なので、どうなんでしょうか。

こんなにも天皇家は和気あいあいとしていますと表現したかったのかな。

君が代もわが代も知るや磐代(いわしろ)の岡の草根をいざ結びてな

作者は、間人皇女。
題詞、
 中皇命の、紀の温泉に往(いで)しし時の御歌

母親の斉明天皇が紀州の温泉に行幸した際、娘の間人皇后がついて行って詠んだ歌となっています。

現代語訳としては、「君が代」は母親である天皇の寿命とか時代とかを想像できますが、「知る」は見通している、把握しているという意味になり、天下を支配しているに繋がるようです。それが岩のような頑丈な岡の上に育つ草根=民をして、永遠に続くように祈って結んでおこうという。そう詠んでいるのではないでしょうか。
いわば、おみくじを木の枝に結びつける行為と同じものだと考えます。

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