健康ですか

家の近くにある区の体育館でやっている講座で太極拳を習っていることは何度か書きました。

今回のコロナ禍で講座が中止・中断されたことはあったのですが、今年の1月から始まった講座はあんまり気持ちいい感じがしないので自ら行かない判断をしました。
それで、4月から始まる講座は受講しようと、同じマンションに住む方に電話をしました。
すると、その方は1月からも通っていて、受講者もそれなりに来ていますということです。しかし、いつもの先生の体調が思わしくなく、代理の方が来て教えているそうです。

先生は、去年の夏にも熱中症で倒れて、代理の先生がきています。
その時期の体調変化が未だ尾を引いているのでしょうか。

『悼 詞』鶴見俊輔著、SURE出版。
・藤岡喜愛(ふじおか よしなる)
 彼は、甲南大学から大手前女子大学に移り関西の気功運動の中心になった。気功によく似た運動で静坐法の岡田虎二郎は、彼流の革命を目指していたが、中年でなくなり、長寿のために参加していた信徒を失望させた。岡田と同信の人だった木下尚江は、静坐法をつづけたが、この人もそれほど長くは生きなかった。気功の指導者として藤岡さんが、六十七歳という、今の時代では長寿といえない年齢でなくなったことは、岡田虎二郎、木下尚江を思わせ、気功は運動法としてはそれほど役にたたないという連想をさそう。
 だが、藤岡氏の最後の日々を知っている友人は私に、藤岡さんは自分の病気(がん)を知って、気功をつづけて最後を迎えたいと医師につたえ、その終わりは安らかだったと私に教えた。気功が安らかに終わりをむかえる役割をになったことを。うれしいと思う。

日本で独自の運動療法を考えた人たちは決して長寿ではない。理由としては、独自の運動法を考え、それを広めるための経営的実務的努力が過度なストレスになったのではという推測が成り立つが、健康法=長寿を約束するものではないことも自明な訳で、健康とはいかに自分の生を全うするかの問題だと言えるのではないか。

だから、何歳まで生きたかどうかは本来の議論には関係ないはずで、いかに自分の生を全うしたかの問題をどう捉え考えるのかという視点が必要になってくる。

そうすると、今この時に死んだとしても、やり切れていない事柄は探し出せば盛り沢山あるが、だがしかし、それがやり切れていないと何故言えるのかと問われれば、別にどうでもいいことなのかも知れないという視点さえ出て来るのだ。

死は生の充実の果てにある訳ではないのだから、充分も不十分もないのだという考えになる。
だから、長寿かどうかは本来の議論には関係ないことが分かる。

東洋医学には「未病」という考え方・捉え方があるが、健康ですかと問われれば「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」と答えるのが最善の答えになっているかも知れない。

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