邪馬台国論争

昨日、再放送でしたが「邪馬台国論争」をやっていました。
爆笑問題の二人が司会です。

邪馬台国がどこにあったのか、九州説と近畿説の2つが中心です。
史料としては、「魏志倭人伝」と各地の遺跡からの出土品です。

何故、倭の国と呼ばれていたのかという説では、自分たちを「わ」と名乗っていたからだという説を本で読んだことがあります。
つまり、あなたの国はと聞かれて「わ(自分)の国は」と答えていたからだという話です。

日本の言葉で自分を「わ」と表現する人たちは東北地方に住む人たちです。東北地方の放言として理解していますが、昔むかしの「日本人」はいつのまにか東北の辺境の地に追いやられたということなのかとも想像しました。

北海道弁である「~だべ」というのは、昔の宮廷などで使われていた「~べし」という言葉が変化したものだという説もありますので、中央からの距離のある地域に昔の言葉が色濃く残るのだいうこともことも聞いています。
つまり、中央の言葉はそれこそ時代による流行語の変化をたえず受けます。何故なら、その時代に一番ちからがある勢力が使用する言葉が主流になるので、言葉は変化せざるを得ないのです。
しかし、中央から遠い地域はその変化を直接に受けないので、昔の使用方法が残るのです。

邪馬台国の名称も、ヤマタイコクと今は言っていますが、「ヤマドコク」もしくは「ヤマトコク」と名乗っていたのを漢字変換したのが「邪馬台国」だったのですが、後から読んだ人たちが中国語の発音読みではなく日本語読みをしてしまったせいではないかという話もあります。

まあ、それはそれでもいいのですが、僕の関心はその時代の古墳と言われているものの発掘が自由になされていないことによる研究の弊害が大きいと思うのです。
遺跡の発掘もあるのですが、古墳がいつのまにか天皇陵とそれに準ずるとして宮内庁の管轄になることはおかしなことです。

天皇家の私的財産というのも理屈として通じるでしょうか。

日本の歴史は日本という国の共有な財産としてあるのではないでしょうか。

古墳の調査発掘が許されるなら、古代日本の歴史の解明は超スピードで明らかになっていくと思います。

それが許されない事情は、ただ一つです。
天皇族が朝鮮半島からの移住者であるという事実です。

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