人を好きになる嫌いになる

昔の自分のことを言うならば、人見知りで引っ込み思案な子供だったと思う。
それは自分の家が貧乏だったことも関係しているかも知れない。

貧乏であることが考え方に影響するとはどういうことかというと。

ある日のテレビでヨーヨーの世界大会で6度も世界王者になった青年のことが紹介されていたのだけど、それを見ても最初に思い浮かぶのはそれで生活ができるのかということなのだ。

ステージなんてどこにある?
ヨーヨーだけの芸でステージが成り立つのは難しいし、それなら若者が集まるクラブでのパフォーマンスをするって言っても、どのくらいのギャラを貰えるのかとか、そういう計算をしてしまう。

つまりは純粋にパフォーマンスを見るというよりも、この人はちゃんと生活できているのかを考え心配するのだ。
だから、ボランティア活動みたいなことを主にしている人がテレビで紹介されると、生活はどうしているのかということの方が気になって内容に入っていけない。

そういう意味では、あの人がきれいだとか好みだとか言う発想の方が単純に楽しめる。
単なる助兵衛なのかと聞かれれば、まあそういうことだろう。

ただ、人を嫌いと言う発想はあまりないと思う。
人を好きとかあの人みたいな人は好みだなと言う発想は生まれても、あの人は嫌いだという考えはあまり生まれない。

というか、この手の人は苦手だなという感じはを持つことがあるがそれが嫌いという感情に結びつくかと言われたら、それは違う。
それは、人に対して嫌いという感情を持つことが自分にとっては苦痛なので、そういう場面を減らすことを考えるし、避けることを考える。

まあ、自分自身の心の脆弱性が分かっているので、嫌いという感情を持つことを避けているというのが正解かも知れない。

自分にとっての安全希求というところだろうか。

直接は関係ないけど、羽鳥慎一モーニングショーである小学校のことを紹介していた。
そこでは、学校内クラス内でのイジメ根絶の取り組みとして、お互いを「さん」付けで呼ぶことを推奨しているという話しです。
そのことが要因なのかは決められないけど、学校内でのイジメは起きていないと報告されています。

専門家は、この小学校での取り組みを、いじめが表面化しないで隠されることにも繋がるかも知れないという頓珍漢な意見を表明していたが、僕はその取り組みを評価したい。
相手を「さん」付けで呼んでいたら口喧嘩や陰口も深刻にはならないと思う。

つまり、相手を好きにならなくても嫌いにはならない方法だと思う。
「さん」付けすることは相手を尊重することに繋がるし、「さん」付けで悪口を言い続けることの方が難しい。

だから、相手を憎みだす自分がいたら、相手の名前に「さん」付けをしてから再度考えればいい。


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