そもそもお金の貸し借りと云うのは六(む)ずかしいもので・・・

特別阿房列車       内田百閒

色色と空想の上に心を馳せて気を遣ったが、まだ旅費の見当がついていない。
いい折りを見て、心当たりに当たって見た。
「大阪へ行って来ようと思うのですが」
「それはそれは」
「それに就いてです」
「急な御用ですか」
「用事はありませんけれど、行って来ようと思うのですが」
「御逗留ですか」
「いや、すぐ帰ります。事によったら著(つ)いた晩の夜行ですぐに帰って来ます」
「事によったらと仰ると」
「旅費の都合です。お金が十分なら帰って来ます。足りなそうなら一晩ぐらい泊まってもいいです」
「解りませんな」
「いや、それでよく解っているのです。慎重な考慮の結果ですから」
「ほう」
「それで、お金を貸して下さいませんか」

ちょっとした旅に出かけたいから、お金を貸してくれという相談です。
云わば道楽のためにお金を貸してくれというのです。
そして、この著者はそれが借金の本筋だというのです。

>一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質(たち)のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしている時、友人がこう云った。だれが君に貸すものか。放蕩したと云うではなし、月給が少なくて生活費がかさんだと云うのでは、そんな金を借りたって返せる見込は初めから有りやせん。

こんな理屈もあるのかと思う。
そして、こんな文章で終わるのだ。

>こちらが思いつめていないから、先方もきがらくで、何となく貸してくれる気がするであろう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である。それを思うと面白くないけれど、今思い立った旅行に出られると云う楽しみは、また先の返すと云う憂鬱よりも感動の度が強い。

『旅に出たくなる日本語』福田章著、実業之日本社。
こういうつまみ食いのような本はあまり読まないのだけど、意外と知識欲を時短で満たしてくれる。
旅は、日常という<穢れ>からの解放という側面があり、同時に非日常の<ハレ>体験へのいざないがあります。それは何か宗教的な悟りへの道のりの簡易版のようにも見えます。

ただ、年齢を重ねるとそういう部分は薄れてきて、日常とはなにかの問いさえ分からなくなります。家にいる時の日常と旅に出たときの日常が重なり合ったりもして来るのです。
まあ、それでも家に帰るときのお土産に玉手箱はないので、少しは安心です。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント