わたしの まちがひだった わたしのまちがひだった

草にすわる        八木重吉

わたしの まちがひだった
わたしのまちがひだった
こうして 草にすわれば それがわかる

『旅に出たくなる日本語』福田章著、実業之日本社刊より。

大正14年(1925)、再従兄で作家の加藤武雄の協力により、詩集『秋の瞳』を出版。
その詩集の序には<私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください>と書かれています。

八木重吉と言う名前だけは知っていましたが、何故か西條八十と八木重吉を混同していたようです。
こんな詩を書いていたのですね。
詩そのものの内容は、なにか気恥ずかしい青年時代の勝手な思い込みと自尊心の入りまじった少し苦みが口の中に残る映像が思い浮かびますが、序にある孤独感の如何としがたい思いはなんだろうか。

谷川俊太郎は青年時代を<ケモノの時代>と呼んでいたが、ケモノはケモノだからと言って孤独な生き物ではない。
例えばオオカミだって群れを作り群れを守って生きているのであり、敵からみればオオカミの鋭いまなざしは恐怖なのだけど、それは延々と続く種族の繋がりを群れととともに守りつなげていかねばならない使命のようなものがそうさせているのではないかと思う。
しかし、ケモノだって種族としての群れの繋がりの中に埋没できない己を感じ、身もだえするときがあるわけで、そんな自分を肯定も否定も出来ない状態の中で、ひとり月に向かって吠えて見たくなるのだろう。

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