参りました

昨日の将棋の王位戦第二局の戦いが、今日のテレビニュースの目玉扱いです。

確かに、豪雨被害とコロナ対策の話ばかりで、視聴者は少し食傷気味です。
それらの解決策の1つは、どちらもPCR検査の拡充です。

豪雨被害のところへ行くボランティアも、受け入れる市町村も、PCR検査を簡単に受けることができるのなら何も悩むことはないのです。

唾液でのPCR検査が可能となりましたという報道がありましたが、それが検査を受ける間口を広げた訳ではなく、そういうことができますというレベルで、気軽に誰でもコロナ感染の不安から免れるために使われることはないようです。

Go-toキャンペーンだって、自分は感染していませんと分かれば、自由に旅行が楽しめるはずなのに、政府はただただ気をつけて下さいというばかりです。
しまいには、国土交通省の役人は「多少の感染拡大は想定済み」だと豪語しています。

感染をコントロールしているとかコントロールしなければならないとか、言葉のお遊びをしていますが、何か実行をしてこそ判断ができるのですが、何もしないことをもって、このまま自粛生活でいいのかと居直っています。

ここまで、日本の役人のレベルが落ちたとは驚きです。

閑話休題。

昨日の王位戦の映像ですが、木村一基王位が藤井聡太七段に「参りました」と、はっきりと言葉で言い、頭を下げているのを見ている姿を見て、何か感じるものがありました。

人が人に面と向かって、「参りました」という場面は、人生の中でそうそうある訳ではありません。
もちろん、参りましたという物言いをしないにしても、心の中でこいつには負けたなと感じても、相手に向かって「負けました」とは言いません。
確かに、我々は人生の中で対面の勝負事を日々している訳ではないので、出会った人にいちいち「参りました」という必要もないのですが、そういう人物がたまには出てきます。

例えば、スーパーボランティアの尾畑さんですか。彼は自己主張をボランティアの中でしているのではなく、そういうのが生き甲斐であり生き方になっています。途中では奥さんが家に帰ってこなくなりましたが。

もっとすごいと言えば、河野さんでしょうか。

サリン被害者でありながら、声を荒げることもなく、いつもたんたんとしながら自分の主張をしています。
最初は、長野県警の不当な逮捕とマスコミからの一方的な加害者扱いをされながらも弁護士を立て、一つひとつ反論をしていました。オウムの関与が明確になってからも長野県警はただの一度も謝罪はしていないことに腹立たしい思いもしますが、声を荒げたことを見たことがありません。それでもオウム真理教への破防法適用には反対の意志表示をしました。

河野さんの登場には、心底「参りました」と言いたくなりました。

ところで、高校の将棋部の人たちが藤井聡太を藤井先生と呼んでいましたが、確かに何歳であろうが、プロであるからには素人から見れば先生という立場になるのでしょうね。

先生と呼ばれる人たちが勝負をして、敗者は勝者に対し「参りました」と頭を下げる。
これは人間力が鍛えられるでしょうね。

ところで、この先生ですが、つい最近見た「チコちゃんに怒られる」で、五木ひろしを岡村やチコちゃんが「五木先生」と呼んでいました。
五木ひろしがデビュー何周年かは知りませんが、今でも現役の歌手なら、スタッフから「先生」と呼ばれていても、テレビ出演の時に、「五木先生」と呼ばれたら、僕はまだまだ現役歌手だから「先生」はやめてよと言って欲しかったな。

高校生が藤井先生と呼ぶのは理解できるが、岡村やチコちゃんが「五木先生」と呼んでいるのは、すごい違和感です。
しかも、同じ歌手仲間ならまだしも、ジャンルが違う人間が相手を「先生」と呼ぶのはバカにしているだけのように感じました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント