鬼さん、可哀そう

太宰治の「御伽草子」のはじめに、そんな文章があったと記憶している。
確か、子どもに絵本の「桃太郎」を読んであげていた時に、子どもがふと漏らした言葉が「鬼さん、可哀そう」というものでした。もしかしたら、「カチカチ山」のタヌキさんが可哀そうと言ってかも知れません。
それを聞いた太宰は、昔から読み継がれている御伽草子を自分なりに読みなおしてみようと書いたのが、太宰治の「御伽草子」なのです。

戦時中のいわば総動員令が出されている時、太宰がその渦に巻き込まれずにいて、書いたものです。

桃太郎に登場する鬼は、ただただ桃太郎に征伐され貯めていた金銀財宝を奪われる被害者という立場なのですが、おじいさん・おばあさん孝行の桃太郎の成果ばかりが強調されて、何故鬼は征伐されなければならないのかの説明はありません。
もしかしたら、読み落とした部分に、村が作物の収穫で喜んでいた時に鬼はそれらを収奪しに来ていたという話があったのかも知れません。
本来、収穫物を収奪しにくるのは実は国や郡の徴税人な訳で、鬼はその役目を担わされていたものとも言えます。

童話のほかに、遊び歌にも鬼が出てきます。

鬼さんこちら手のなる方へ

これは一人が目隠しをして、鬼になった人を囲んでいる人たちが掴まらないように囃し立てるものです。
遊郭の遊びが起源ではという説もあります。

また、単純な遊びで今でも子供たちがやる鬼ごっこがあります。

鬼が誰かにタッチするとその人も鬼になるという仕組みですから、鬼が伝染をしてくのでしょう。

ところで、鬼とはなにか、日本ではいつの頃からいたことになっているのかを辿ってみたいと思います。

『天皇と葬儀ー日本人の死生観』井上亮著、新潮選書より、引用・抜粋。

「魏志倭人伝」に、古代日本人の葬送習俗について書かれた箇所があります。

>死ぬとまず、喪に服するのを停めて仕事にしたがうこと十余日。*ここの部分は「仕事を停めて喪に服すること十余日」ではないかと思うのです。漢文の読みを間違ったのではないかと推測しています。
 その期間は肉を食べず、喪主は泣きさけび、他人は歌舞・飲酒する。埋葬がおわると、一家をあげて水中に詣りからだを洗い、練目(ねりぎぬをきて水浴する)のようにする。

著者は、上記の内容から、当時の日本人が死を穢れたものとする観念をもっていたと考えます。

七世紀の「隋書倭国伝」には、モガリという言葉がでてきます。

「魏志倭人伝」では、葬儀は死という穢れと接する儀式のため、最後には禊を行います。一方、「隋書倭国伝」では、死者そのものである遺体と一定期間一緒に過ごすというモガリの儀式が天皇家では行われていたと書かれています。これはどう考えても同じ観念をもってしては出来ません。
「魏志倭人伝」の編纂が三世紀頃で、「隋書倭人伝」が七世紀のものだとすると、この400年くらいの間で日本人の、天皇家の葬送に関する考え方が変化したのでしょうか。

「モガリは日本だけでなく、東アジア、東南アジアの広い範囲で行われていた喪葬形態で、焼畑穀物栽培民や定住農耕民の間に一般的にみられるもの」という研究もあります。

ただ、日本での場合は、「大化の改新」以後、天皇以外のモガリの禁止が出されます。天皇によるモガリの独占が行われました。

神話の世界でも、生きている者と死んだ者との出会う場面がでてきます。
イザナミとイザナギが「黄泉の国」で出会う場面です。
イザナミが死んで「黄泉の国」にいくのだどけど、イザナギは「まだ国作りは終わっていないから、現世に帰ろう」と連れ戻しに来ます。イザナミは、自分はすでに「黄泉の国」の食べ物を食べたので戻れないと言い、そして自分の姿を見ないで欲しいと懇願しますが、イザナギはこっそりイザナミの姿を見ると、腐乱した身体にウジがうようよたかっている姿がそこにあったのです。

実際のモガリの状況は、イザナミのような姿の遺体と関係者が喪屋で一定期間過ごすというものらしいのですが、「貴人は三年」という期間が記述としてあるそうですが、本当でしょうか。
中国には、一月を一日として換算するという裏技がありましたので、それを採用していたのかも知れません。

また、天皇の死は、次の天皇を選ばなければならないということでもあり、政権運営にとっては非常に危険な状況が到来をするということでもあります。その選考過程に、このモガリの期間が利用されるようになったと書かれています。

3世紀頃からの天皇の死の場合は、お墓である古墳の築条が重要になってきます。
事前に自分が葬られる古墳を用意する場合もありますが、崩御されてから土地を決めて建設をすることの方が多く、そのためにもある程度の猶予期間が必要になってきます。

政権交代の問題、古墳築条の問題が、モガリという儀式を天皇家で独占したことの要因なのかも知れません。

それでも、古墳を自ら拒否する天皇も登場します。

淳和上皇です。840年5月8日死去とあります。
「私は、人は死ぬと霊は天に戻り、空虚となった墳墓には鬼が住みつき、遂には祟りをなし、長く累(わざわ)いを残すことになる、と聞いている。死後は骨を砕いて粉にし、山中に散布すべきである」
そう命じていたそうです。

これをもって、日本の最初の自然葬だと主張するグループもありますが、どうでしょうか。

「墳墓に鬼が住みつき」、祟りをなすという考えがどこから来たのか、その方が気になります。

これは前に書いたことですが、中国での葬送儀式では埋葬するお墓で悪鬼魍魎を駆逐する役人がいました。この葬送の儀式が日本でも正式に採用になったことで、鬼という存在が日本人にも意識されるようになったのではないでしょうか。
そして、本来なら、鬼を追い払う役目の姿の役人の衣装が、いつの間にか鬼の姿として伝わったということかも知れません。


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