「蒐」にも鬼がいるのか

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節分祭での方相氏という説明があります。
*方相氏(ほうそうし)・・・周代の夏官(かかん)に属し、疫病を追い払う役。日本の追儺では、逆に鬼の役に扮する者を指すこともある。

『天皇と葬儀ー日本人の死生観』井上亮著、新潮新書。

>太上天皇となった聖武は756(天平勝宝八歳)年五月二日五十六歳で死去する。「続日本紀」には死の翌日、固関(こげん)が行われ、元正の葬儀と同様、御装束司、造山陵司、養役夫司が任じられたとある。
 ここで注目されるのはこの三つの役職のほかに「造方相司」という役割が初めて登場することだ。
 中国の儒教経典『周礼』には、葬車を先導し、埋葬前の墓穴で悪鬼魍魎を駆逐する方相氏という役人のことが記載されている。方相氏は熊皮をかぶり、黄金の四つ目、黒い衣、朱の裳をつけ、戈(ほこ)を持って歩く。
隋唐では高官の葬儀礼の一つと位置付けられ、唐礼をまねてつくられた日本の養老律令(757年)の喪葬令に加えられた。方相氏は陰陽道の神であり、日本の習俗にはないものだった。
*固関(こげん)・・・東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛発(あらち)関の三つ関所を警護することです。天皇が崩御されたことで、次の天皇をめぐって内乱・クーデターが起きる事態が常に予想されたのです。

上記の写真にある方相氏は日本では節分の鬼ですが、もともとは中国の役人で、皇帝の葬儀の進行を担っていたようです。
それが東北に伝わるとなまはげになったのかも知れません。

仏教の伝来において、日本では布教の中で地獄絵図のようなものが作られています。これが中国仏教からの輸入なのか、日本独自の進化なのかは資料を調べていないのでよく分かりません。
ただ、明治維新の際の旗印であった「尊皇攘夷」の「夷」は、エビス、エミシとも読み、中華思想による周囲の民族を蔑視して呼ぶ際に使った言葉です。(東夷・西戎・北狄・南蛮など)
それは日本で使う<鬼>と同義語かも知れません。鬼畜米英などと。

鬼を辞書で調べると、「大きなまるい頭をして足もとの定かでない亡霊を描いたもの」とあります。
日本語の使い方には、ウチとソトという区別の意識が大きく働いているという指摘があります。そういう意味では、鬼はソトにいるものの象徴かも知れません。
ただ、日本語の場合もウチの側として使っていたものがその対象を広げていく傾向がみられ、しまいにはウチとソトとの境界線が曖昧のなる部分が出てくるのだそうです。

その時に、自分はどこに立っているのか、存在しているのかが危うくなるのを感じます。

<蒐>(シュウ)は友人がやっている同人雑誌である詩誌の名前です。その詩誌の名前に鬼が入っているのに気が付きました。
鬼を密かにかき集めて何を企んでいるのでしょうか。

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