災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。

『病と人間の文化史』立川昭二著、新潮選書。

「老いの異化」という章にある良寛のことを書いた部分です。

うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

>これは良寛の自作ではないが、苦痛のはて、ついに良寛は、自然のなかに表(生)と裏(死)をまかせきった静けさにたどりつく。
こうして天保二年一月六日申の刻(午後四時)、弟子遍澄の膝を枕に息をひきとる。七四歳。貞心は、「御なやみもなく、ねむるが如く座化しなまふ」と記している。この死にざまは、二年前、三条大地震のとき、山田杜皐(とこう)あての手紙に、次のように記したとき、すでにさだまっていたのである。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。

僕はこの個所を読んで、どこかで同じニュアンスのような文章を読んだことを思い出しました。
以下は『修業論』内田樹著、光文社新書。からです。彼は、合気道の道場を主宰している方で尚かつ注目されている思想家です。

>風邪を引いたら、「生まれてからずっと風邪を引いていた」かのようにふるまい、雷撃に打たれたら「生まれてからずっと雷撃を打たれ続けてきた」かのようにふるまい、子どもを亡くしたら「生まれてからずっと子どもに死なれ続けてきた人」であるかのようにふるまうことができる。そのような心身のモードの切り替えができる人にとってはじめて、天下は無敵である。

>私たちの「最初のボタンのかけ違え」は、無傷の、完璧な状態にある私を、まずもって「標準的な私」と措定し、今ある私がそうではないこと(体調が不良であったり、臓器が不全であったり、気分が暗鬱であったりすること)を「敵による否定的な干渉の結果」として説明したことにある。

この著書は、合気道という武道というか武術における敵味方という問題捉え方に関しての問題を語っていますが、良寛が提起した物事の受けとめ方とも通じるものがあります。

今の我々を捕まえているコロナウイルスの問題にもどこか通底する部分があるように思えます。

例えば、陽性者の隔離で思い出すのは、志村けんさんの死です。

それは映画「野麦峠」で見た大竹しのぶ演ずる女工さんよりも何故か悲惨な最後だったように思えます。
結核が国民病として猛威を振るいだした時の話です。綿糸工場で優秀な稼ぎ手となった女工も結核に罹ってしまえば厄介者です。工場敷地内に作られた納屋に隔離され、ただただ衰弱死する日を待つ日々です。それでも、最後は兄に背負われて故郷へ帰っていき、近親者に看取られながら死ぬことができたのです。

現代のコロナによる隔離死は、女工哀史の昔よりも悲劇ではないでしょうか。

ここでコロナウイルスに関する数字を見ておきたいと思います。

今朝(5月24日)の新聞での数字です。
日本の感染者数は、1万7243人、死者は838人。
日本における感染拡大の始まりは、3月初旬頃でしょうから今まで3カ月間での数字がそれだと思います。
それで、上記の数字を年間の感染者数や年間の死亡者数に変換をしてみます。

感染者数を1カ月分に割、12カ月を掛けます。計算上では、6万8971人です。しかし、専門家も予測しているように、日本の検査数が少ないので、実数は10倍~20倍入るだろうという話です。とすると、おおよそ年間の感染者数は130万人くらい。
死者数は、年間3400人になります。

これを通常のインフルエンザで考えると、年間罹患者は一千万人で、死者数は約1万人と池上彰氏がテレビで話していました。
厚労省の数字によると、インフルエンザでの死者数は、昨年・一昨年を見れば、2500人~3400人で、年間死者数約1万人とは隔たりがあります。ただ、これは死因の特定の問題とも言えるかも知れません。

いずれにしても、現段階のコロナウイルス感染者数や死者数と比較すると、感染者数はまだまだ少ない状況でありますが、死者数はインフルエンザよりも少し高めになる傾向を示しているようです。
ここで、問題になるのはインフルエンザはワクチンや治療薬を前提しているのに対し、コロナウイルスの場合は外出自粛という他者との接触を制限している状態での感染者数・死亡者数なので、単純比較はできないということです。

そういうことで導きだされる僕の結論は、恐れることも侮ることも必要ではないという簡単なことです。

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