消えたちんちん

『アイヌと神々の物語』萱野茂著、ヤマケイ文庫。

ウエペケレとはアイヌの昔話、民話のようなものです。昔話をもって、それを聞く子供たちに日常の心構えやしきたりを教える役目があるように思います。ただ、あまり教訓的な話ばかりではなく、ちょっとクスッと笑えるものもあります。

>私は父がいて母がいて、ユペッという川筋のコタン(村)で育てられた一人の娘でありました。
 父や母は口ではいえないほどの貧乏夫婦で、私は子どもの時から食べ物に不自由させられ、他の家は貧乏だといっても山菜の寄せ鍋のような食べ物があるのに、わが家にはそれもありませんでした。

そういう娘もだんだんと成長していったある日のこと、

>窓の所で物音がして、ふと見ると、うわさに聞いた若者(村おさの一人息子で、狩りの上手なことや器量がいいことで、あるいは神かも知れないという話です)が、弓の先へクマの脂身を結わえつけて、ユラユラ振っています。(アイヌ式の求愛です)

最初は、こんな貧乏娘のところへ、評判の村おさの息子の若者が来るとは信じられなかったのですが、次はシカ肉も持ってくるようになりました。そうこうしているうちに、娘もその気になってきます。

>ところが、ある時からあの若者がばったりと見えなくなりました。

そのために娘も、恋煩いにかかったらしく、食べ物ものどを通らずやせてしまい、骨と皮ばかりになってしまいました。

父母があまりに心配するので、なんとか食事をして、気晴らしに山に薪を拾いに行った時に、若者と出合います。
そこで、若者が抱えている悩みを打ち明けられるのです。

若者は、娘を気に入り求愛し、結婚を申し込もうとしていた矢先、自分の大事なもの(ちんちん)がなくなってしまうのです。

この騒動の原因は、神の仕業です。
独身の女性の神が、自分の伴侶を探していたけど、周囲の神々にもいい相手がいなかった。そこでアイヌのコタンを見たら、狩りも得意で精神のよい立派な若者がいた。それで、この若者を自分の結婚相手にしようと、その若者の大事な物を取ってしまったのです。そうすれば、アイヌに女性とも結婚できないので、この若者が死んで神の国きたら正式に結婚できると考えたのです。

ところが、この若者に父親は、これは神の仕業だと確信し、あらゆる神々にその不当性を訴え続けた結果、この女性の神は、周囲の神々から注意や批判を受け、ちんちんと返したのです。

その神は、若者の夢枕に立って、娘さんと早く結婚をしなさい、私はこれからはお前たち夫婦を守るでしょうと話しました。

最後は、「私たちも、、鳥の神、ケソラㇷ゚カムイがいってくれたようにたくさんの子どもが生まれ、何をほしいとも何を食べたいとも思わないで暮らしています」

この話の場合、貧乏人の娘に村おさの息子が惚れて結婚をするということですが、これが韓国ドラマなら貧乏人の娘に恋をしたなんてことになったら、村おさの奥さんは、貧乏人の娘が息子をたぶらかしたと大騒ぎをするところです。しかし、その部分が全然ありません。

そこにアイヌ文化の特徴があるのでしょうか。

例えば、他のアイヌの家を訪問する際は、戸口に立って「エヘン、エヘン」と咳払いをします。
そうすると、それを聞いた家の者(ほとんどの場合、女性がでてきます)が外にでてきて確認をすると、中にいる家長らしきものに、
「外に人間なのか神なのかわからないような立派な方が来ています」と伝えます。
それを聞いた家長らしきものは、「誰にしても家の外へきている人は、家に入りたくて来ているのに、特別にいわなければならないのかい。早く入れなさい」と叱るのです。

ここにアイヌの他者や神々に対する態度が現れているような気がします。
残念ながら、ここにアイヌの人たちが和人にやすやすと騙されたりする下地があるのではないでしょうか。

精神の立派な民族は、所詮、領土拡大や交易拡大という思惑をもって接する民族には容易く支配されてしまうようです。悪銭が良貨を駆逐するかのごとくです。

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