宮沢賢治と吉本隆明

まず吉本隆明という人を知っているかという事があります。
彼への評価は極端に分かれます。それは彼がする政治的社会的な発言を捉えてそうなる傾向があります。

原子力発電しかり、オウム真理教の麻原彰晃しかりです。

僕自身は高校生の時に彼の著書や雑誌(「試行」という自主出版の雑誌です)に触れたことで興味を持ちました。
ただ、簡単な言葉で語ろうとしていますが、非常に読みにくい著書というか、我々が持つアカデミズムに対する信頼感か安定感をやすやすとぶち壊すことがものごとを語る出発点であるかのような印象を受けます。

それはどういうことかと言うと、

>あるひとつの主題に対して、どちらが真理に近いことをいっているのかという問題が出てきたときには、こういう言い方をすると好まれやすいという言い方は、概していえばだめだとかんがえたほうがいいようにおもいます
『宮沢賢治の世界』吉本隆明著、筑摩書房。

これは宮沢賢治の詩に対する批評の中で出てきます。
「(あすこの田はねえ)」という詩です。

これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強く芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ

>つまりこれは、農学校を出て農業をやっている、そういう教え子にあてた詩です。略
テニスをやりながら商売でやっている先生から教わる勉強なんかだめだよ、身体に刻んでゆく勉強がほんとうの勉強で、これから伸びるんだよといわざるを得ないことは、宮沢賢治の思想のひとつの特徴です。これは傍からなんとかいうべきことに属さないといえば属さないわけです。宮沢賢治という人はそういう人なんだとおもう以外にないわけです。
しかし、真理という基準があるとするならば、どちらが真理命題に近い考え方なのかという観点は、やはり一度はとってみる必要があるとおもいます。これが宮沢賢治の泣きどころであるようにおもいますし、また特徴でもあります。

この文章のあとにくるのが最初に書いたものです。

皮肉れ者と言われそうですが、彼吉本隆明は常にそういうスタンスで物を書いています。
何故なら、そういう言い方書き方をしていくうちに、真理を取り逃がすというか、誤魔化す作用が働くように思えるのです。

吉本隆明は、宮沢賢治を若い頃から読み続け、唯一批判をしたことのない人と公言しているのですが、それでも上記のような注釈を入れずにはおかないのです。

僕らが持っている普通の倫理観からすれば、宮沢賢治の詩のように、テニスをしながら商売で教えている勉強より農業をしながら身体に刻んだ勉強の方が尊いもので真理への道をぐんぐん突き進むことができると思いたいのですが、吉本隆明は果たしてそれは真理への追究の態度として正しいのかと問うています。

吉本隆明氏の『宮沢賢治の世界』を読んで、改めて吉本隆明の深さにも触れ、また宮沢賢治の広さにも触れることができました。
ありがとうございますと言いたいですね。


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