ものすごく女好きとか・・・

前のブログを書いていたら、「お茶しませんか」とメールがありました。

今から行きますとあったので、ブログを書いていたのですが、ブログの中断をしたので文章の終わり方がしまらないものになりました。

お歳暮の申し込みを頼んでいたので、申込書を取りに行くついでにずい分と会っていないのでと、お茶のお誘いです。残念ながら二人きりではありません。一人は休みで、一人は夜勤の出勤時間前です。
 
元気でしたかとか毎日何をしているかと聞かれるんですが、どうなんでしょうか?
もうシニア世代になると、朝から絶好調です!という日があまりなくなりました。
あ~とかまあまあとかいう感じでの元気でしょうか。

そう考えると、オタクの人たちが少し羨ましくなります。

何かに熱中したことがあるのかというと、読書では太宰治の名前はでてきます。
彼の自由自在の筆力はすごいと思います。
太宰の評価がどのように定まっているのかは僕には分かりませんが、時流に流されていない作品であるために戦後世代の我々の心をつかむのではないでしょうか。

でも、この著者が好きとか作品が好きといっても、それ以上自分の生活を支配するようなことはありません。
ましてや勉強が好きとか或いは会社で出世をしたいとかそんな欲望も欲求もありませんので、平々凡々まる出しですね。

とここまで書いて、平々凡々である人生を送れるのは、終身雇用の時代に生きていたからであるという事実に気が付きました。
日本では、ある時期から<貧困>という言葉が街に出歩くようになってきました。

昔むかし、僕が学生運動のはしっこでその雰囲気を浴びていた時代では、帝国主義打倒と貧困がセットでスローガンに出ていました。でも、高度成長の入り口にあった日本では、経済はまだまだよくなっていくだろうという観測や推測は皆が共有しているものでもあったのです。
ですからその頃の<貧困>は生活の質の問題でもありました。

でも、この頃目にする<貧困>はそれこそ憲法が謳っている「最低限の」という修飾語が必要になってくるものです。
そんな事態に何の力もない僕は、それこそオロオロするばかりです。

話がだいぶそれてきました。
熱中するもの、生活を満たしている物を書くつもりが<貧困>問題になりました。

おそらくここには、先進国<日本>と我々が自負しているものが実は中身がカスカスだったということと関係しているかも知れません。
豪華な邸宅に住んでいたつもりが、実はそこは外見ばかりが立派な張りぼての掘立小屋だったということでしょうか。

その前を十二単に身を包んだ皇后陛下が馬車(馬アレルギーなので自動車使用のようです)に乗って通りすぎていきます。
令和元年の日本ですね。

考えてみれば、「ものすごく」というキーワードで生活の質を考えれば、いちばん簡単に手にすることができる冠は<ものすごく女好き>になるのですが、どうもそれを維持するだけのエネルギーとお金がありません。

モテる男性の場合は、お金は女性が出したがることもあるようなのですが、そんな経験がないのでイメージ出来ません。

困ったな。

平々凡々であることを幸せと思いたいのですが、現代日本の街に出歩いている<貧困>が気になります。
結局、小心者の自分の姿だけが余計目につきます。

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