山崩れ、川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて・・・

『おくのほそ道』の中の、多賀城の城趾を訪ねた時の文章だそうです。

『古典を楽しむ』ドナルド・キーン著、朝日新聞社刊より。
>芭蕉は『おこのほそ道』の「夏草や兵どもが夢の跡」の句の前に、中国の杜甫の詩句「国破れて山河あり」を引用していますが、ここでは芭蕉は、それは嘘だ言っているのです。山河はないかも知れない。「山崩れ、川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ」て、自然そのものはなくなることがあるのだ言っています。では何が永遠に遺るのかというと、それは言葉なのです。人間の作った詩歌こそが遺るのです。

これは芭蕉の言葉であり、ドナルド・キーン氏の言葉のように思います。

ブログの題名に使った文章を読んで、大雨被害や台風被害でまさに山河がなくなっていく古代から現代までの日本の姿が思い浮かびました。

それでも遺るものがあるという確信はどこから来ているのでしょうか。

俳句が隠居道楽のようにしか見られない中で、十七文字に人生を懸ける芭蕉だからこそ言いえた言葉でしょうか。

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