詩集はいらんかえ~

年長の友人が詩集を作り、僕はご祝儀として十部書店から購入したことはすでに書きました。

でも、この十部を配るのに苦労しています。

まず、姉とその子供である姪っ子の合計三人に送りました。次に前の職場の人で本を読むという方にも送りました。

次に乗馬クラブの誰かにと思ったのですが、捌けたのは3冊です。

僕の読む詩集は本人から貰えるので、家に置いておく必要もありません。

それでと思い浮かんだのは前の職場の方で、結局女性陣です。

飲み会をしている人たちのほとんどは本を読むことはないだろうと推測ができますので、無理に送っても相手が迷惑がるでしょう。

もう一人いました。

年賀状をやり取りしている年長の方で、年賀状に短歌を書いてきたりもしていました。

同じ郵便局の出身の方が詩集を出したと送ったら、親近感が湧くでしょう。

それにしても、詩集だから渡しづらいのでしょうか。短歌や俳句集だったら受け取るでしょうか。

詩を作ったことがある人からすれば、改めて自分たちが作る詩を現代詩と呼びます。
それは何も現代に生きている者が作る詩だからではありません。

現代詩は対象と表現する個との関りを双方向で見る視点が必要です。表現をする個が重要でもなく、また対象とするものが重要なのでもありません。

個は何者にも置き換えることのできない存在でありながら、所詮ちっぽけな大衆の一員でしかありません。そこを踏まえることが現代詩には重要なことだと僕は認識しています。

そして、日本語で書く現代詩にとって、日本の歴史も避けては通れない道です。

「鹿鳴館がどう批判されようと、それは生まれたばかりの近代国家がやむなく試みなければならなかった化粧であった。悲哀をこらえて、無理な背伸びをしようとする健気な志なしに、あのような建物が東京に建てられるはずがなかった。
 いまの私の目には、鹿鳴館の舞踏会の華やかさのうしろにあった悲哀は、きわめてアジア的な悲哀にみえる。その悲哀を共有することなしに、近代日本を語ることができるであろうか。」
『鹿鳴館の系譜』磯田光一著、文藝春秋社刊。

上記の本で、「小学唱歌」のことが書かれています。
日本の近代詩として提出される「新体詩抄」が七五調だったのに比べて、歌曲であった「小学唱歌」の方が詩の自由度が高かったという事実に改めて気づかされました。

ところで、磯田氏が近代国家日本を作る過程で建てられた鹿鳴館に、西欧列強に追いつけ追い越せの当時の日本の、アジアの悲哀を感じるとありますが、これは抒情的かつ近視眼的な見方だろうと思います。

前にも書きましたが、古代日本の巨大古墳群が築造された経緯が、まさにその当時の先進国である中国に見せるための化粧であった訳で、なにも近代日本に焦点を当てなくても、大昔から日本はそうだったのだという事です。

つまり、日本の政治を司る人々は、大昔から現代日本に至るまで、その精神構造は何一つ変わってはいないのだという事実です。

なんか詩集の話からずいぶん先に行ったようですが、書いていることは今の自分のことです。

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