野球帽をかぶりたいと思うようになれ!

今日の新聞報道で、政府が一万円札紙幣の肖像を刷新する方向を固めたとあります。

しかも一万円札の肖像は、渋沢栄一にするらしいのです。

渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも言われ、多くの企業を作りました。

それらの功績はともかく、今でも連綿と続く修養団の初代後援会長です。

修養団のみそぎ研修の一つに、伊勢神宮を流れる五十鈴川にフンドシ一つをつけ、「愛 汗」と書いたハチマキを締め、明治天皇の御製歌を歌いながら、一分間ほど肩まで川に入るものがあります。

この研修の目的は「こざかしい理屈を捨て、バカになって物事に挑むきっかけをつかませる」のだと言います。

そして、21世紀の現代でも、大企業と言われる企業の中には、新入社員などの研修の一環として今でも修養団に送り込んでいるのです。

だいたい権力を持つものが「道徳」を言い出したらろくなことが起きません。

つまり、「道徳」がこころの内からの問題としてより、しなければならないこと、或いは守らなければならないことに変わっていくのです。
それは内面への強制であり、心への支配というものです。

労働による対価を求めるのが普通の労働者(サラリーマンと言っても同じです)の姿です。それにプラスして「道徳」を言い出したら、労働の提供による肉体的負担だけでなく、精神的な荷重は半端ありません。

何故なら、それを判断するのが会社の上司なのですから、気持ち悪いだけでなくたまったものではありません。

本の孫引きで申し訳ないが、引用させてもらいます。
『佐高信の新・会社考』朝日新聞社刊。
・野球帽と自主性・・・「日本型企業社会の構造」より、P219

アメリカのマツダの工場で起った「事件」です。

同工場では労働者にカーキ色の制服を配り、その着用を義務づけた。アメリカの労働者は制服を着ることにはそれほど強く反発しなかったが、同時に配られたマツダ印の野球帽には抵抗を示した。

「これはどうしてもかぶらなければならないのか」と尋ね、
「いや、強制ではない」という答えを得ると、ほとんどがかぶらなかった。
しかし、それを、日本から派遣された経営者やアメリカの管理者が問題にし始める。

「本当に会社のことを考えているなら、自然に野球帽をかぶりたいと思うはずだ」
こう主張するマネジャーにアメリカの労働者は次のように言い返したという。

「あなた方が野球帽をかぶれと命令するのであれば、わたくしたちは反対であるが、そういう命令はいちおう成り立つでしょう。しかし、われわれ労働者に『野球帽をかぶりたいと思うようになれ』と命令するな」

ここには、日本の経営者が陥りやすい明示しない指導という問題があります。
会社の指導部が考えたことに、皆が従うのが当たり前なんだという感覚です。

会社の経営者が「道徳」を言い出すと、法律にも社内規定、勤務条件にもないのに、皆が従うのが当然でそれは社員としての心構えの問題なのだとすり替わっていくのです。

こころの問題は個人に任せて置けばいいのです。
他人がどうのというべきではないのですが、新紙幣に採用される渋沢栄一が持ち出されてくると、勘違いする経営者がどんどん出て来るのが目に見えてきます。

今の政府は、日本国民を「こざかしい理屈を捨て、バカになれ」と推奨するために、渋沢栄一を一万円札の肖像に選んだのでしょうか。

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