バカという人がバカなのよ

>おさないこどもが、友だちをバカと呼んで母親にいましめられているのに出会ったことが何度もある。
 「バカという人がバカなのよ」
 馬鹿という人は馬鹿である、この定義を私も、自分の前においてくらしたい。

『定義集』ちくま哲学の森 別巻の最後に載っている鶴見俊輔の文章です。

「手づくりの定義へのすすめ 解説にかえて」鶴見俊輔

>私は、自分なりの定義をもっている。人はそれぞれ、その人なりの定義をもっている。
 私の思想の根もとにあるのは、痛みによる定義だ。火に手をかざすと、あつい。こどものころお湯をかぶってやけどしたことがあり、そのあとしばらくは、お湯のにたっているところをさけて歩いた。
 痛みによって定義する。たのしみによって定義することもあろう。そういう、自分のからだの記憶としてもっている定義の束が大切だ。
 
その中の「日記」の定義。
「自分の生活の中で、自分自身に対して顔を赤らめずに物語ることのできる部分についての日々の記録。」
(A・ピアス「悪魔の辞典」)

ブログをやっていると誰に向けて書いているのかと思うことがあります。もちろん意味があるのかという設問が常に襲ってくるのも分かっています。

生きているから

人間だから

理由はいくらでも作ることはできますが、無理に終わりはつけないというのが今の時点での考えです。

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