湯かん見つめるひ孫らの目に卒寿の義父の肌艶やかなり

やっぱりと言うか医師の判断の通りというか、夕刻義父は亡くなりました。

当日も意識はあり、反応もあったのですが、何度か咳き込んで大きく息をするようにして亡くなったようです。

90歳の人生。

僕ら夫婦は、この調子なら100歳近くまで生きるんじゃないのかと話し合っていた矢先です。

葬儀は家族葬で執り行いました。

葬式は、亡くなったものを弔いあの世へ送る儀式です。
それは習俗・習慣の問題です。

どの宗教で行うか或いは無宗教で行うかは別問題です。

葬儀会社のペースで行うとそこらへんが曖昧になり、これが普通ですみたいなお勧めがされます。

まず、「通夜」ですが、これは逆に読めば分かるように夜通しの儀式です。

何を夜通しするのかというと、死者が生き返らないかを見張る儀式です。

今でも死んでから24時間火葬できないということはその名残です。

田舎の通夜の席では食事をしお酒を飲んで騒いだりするのは、皆死者が生き返るのが恐かったからです。

火葬場がない田舎では、木材のやぐらを組んで死者をその上に乗っけて焼くのですが、焼くと死者の肉が縮むのか筋肉が縮むのか立ちあがったりもしたそうです。

そんな光景を頭に浮かべたら、酒を飲んで騒ぐしかないですよね。

次の日が葬儀ですが、墓場(昔は土葬でしたから)まで、火葬場ができてからは火葬場まで、お経のお題目を書いたのぼりを立てて、遺族、坊さん、親類縁者が連なり、太鼓や鐘を鳴らしながら行列をつくって行ったそうです。

そういう仏式の騒がしい葬儀行列を俺が死んだらしないでくれと言って始まったのが「告別式」です。

1901年(明治34年)12月17日に中江兆民の「お別れ会」が友人である板垣退助らによって開かれたと記録にあります。

つまり、「告別式」は仏教の儀式ではなく、無宗教の儀式として行われたのです。

そこら辺を知らないと何でも葬儀会社の言う通りに勧められることになります。

義父の葬儀は、一日葬として行いました。
通夜の儀では、湯かんをしてもらい、僕ら夫婦がお経をあげて行いました。

葬儀では、さすがにお坊さんに来てもらい、火葬の後は、繰り上げ法要をして終了です。

葬儀になると、一番悩ましいのは、今まで義父の所へ来なかった者たちが死んだと騒ぎ立てることです。

そりゃ~死ぬよ、人間だもの。

僕ら夫婦は今まで義父に対して介護や生活のサポートを充分してきたのでやり切った満足感があります。
悲しいというより、ああ終わったなという安堵感の方が強いのですが、今まであまり義父に関わってこれなかった者たちは負い目がそうさせるのか、悲しさを大袈裟に表現しますので、こちらはドン引きです。

それにしても、僕が退職をするのを待っていたかのように緊急入院をし、今度は喘息の発作で専門病院に転院するときに、交通事故にあい、僕の兄(4歳で亡くなった)の月命日の日に亡くなりました。

女房は父の遺品を整理しながらも、もしかしたらこれは本当のことなのかとふと思うそうです。
きっと人の死はそんなものなのでしょうね。

ところで、義父のルーツが香川県の三豊市(旧三野郡下高瀬)にあるようです。それで香典の一部を小学校の図書にでもと寄付することを決めました。

昨日、三豊市の市役所に電話をしたら、学校教育課の人がそれは貴重なお話ですと答えていました。

納骨の時に、ルーツの三豊市からの文書があればいいんじゃないかな。

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