無力という事

昔むかし職場の健康診断かなにかでロールシャッハテストなるものを見せられたことがあります。何故それが行われたのかは正直分かりません。
もしかして、その時代の産業医の流行だったのかも知れません。

企業が行う診断にはどうしても身構えてしまいます。

何故なら、企業の行うものには排除や選別が隠されている場合が多いので心をオープンにして心理テストを受けることには抵抗感が付き纏います。

ただ現代ではうつ病などの診断でも病休が認められるので、そういう警戒感は思い過ごしかも知れません。

それでも心理学というものがプライベート以外の場面で登場すると何か胡散臭いものを感じてしまいます。

日本のユング派心理学の先駆者である河合隼雄氏は心理学を始めるにあたってロールシャッハテストを勉強しに留学し、ユング派の心理学にであったそうです。

河合氏が分析家として自立していくときに、まず自分がクライアントとして分析を受けたそうです。

ユングのことについて書いた本には「臨床家になるためには、自分自身を知っていないと話にならない。だから、自分自身が分析を受けることが絶対条件である」と書かれています。

心理学が何かクライアントの上に立つ存在として、解釈や説明をする学問だとするなら僕は河合隼雄を読まないだろうと思います。

彼は自分の心理学での臨床分析(箱庭療法を用いています)を「ヒューマン・ビーイング」と表現しています。「心を病んでくる人に対して、何をするべきかと考えたり、私が何をしてあげるのかということではなく、私がそこにある、ということが非常に大切になってくるのだ」と書いています。

「無力の自覚が大切」というエッセーで、ある医科大学での臨床心理士の話が紹介されています。
その臨床心理士が立ち会ったのは早産や難産の母子のための医療機関です。医学の進歩により、二十二週くらいでの早産でも助けることが出来るようになったのですが、医療機関で働く医者や看護師は大変な緊張感をもって仕事をしています。
そういう中での臨床心理士は何の手助けも出来ません。要するに「邪魔者」としての自分がいます。ところがふと気付くと、自分と同じ無力感を味わいながら、そこに佇んでいる人がいます。保育器に入っている赤ちゃんの親です。お互いの存在に気付いたときに親と臨床心理士との間に不思議な心のつながりが生まれてきたのです。

この出来事を河合氏はこう書いています。
私が一番感銘を受けたのは、「無力」と言う事が媒介になって、心と心が触れ合うところである。「無力」の自覚が大切なのだ、と。

と、ここまで書いて見て、そう書いている自分が実は無力な存在なんじゃないのかと気づきました。今は有給休暇での自宅待機ですが、早い話無職予備軍です。

まさに社会的にも無力の存在です。

だからと言って、仕事を探そうとも思いませんし、何か趣味や学習などの集いを探そうとも思いません。

ジタバタしても自分が何者かにはならないからです。

年金の低さにがっかりし、預貯金の少なさに不安を持ちながらも、今の自分で充分です。

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