仏壇のことを聞かれました

仏壇のことを聞かれました。

夫婦のどちらかの父親(おじいちゃん)が高齢になったので、家で面倒を見ようと考えたのですが父親の家にも仏壇があり、自分の家にもすでに仏壇があります。1つの家に2つの仏壇はよくないと聞いたことがあるけどどうなんだろうかと。
友人に聞かれたことを、私に聞いてきました。

まず、仏壇とはなにかを書いてみたいと思います。
僕の持っているのは、100円ショップのダイソーで購入した「仏壇の話」と言う本です。もちろん100円で売っているものです。7・8年ぐらい前に購入したものですから、今でも売っているかは分かりません。
引用・要約のほとんどはこの本です。
それ以外にも葬儀やお墓の本も読みましたが、上記の本がコンパクトで分かりやすいと思います。

「仏壇は日本人が生み出したものです。仏さまと、ご先祖さまが同じ「家(ボックス)」の中におすまいになっていらしゃいます。死者を弔い、成仏を願う仏教の教えと、先祖を追善供養する儒教の教えが、仏壇のなかで、違和感覚なく同居しています。」

我々が普段仏教と呼んでいるものは、実は中国・朝鮮を経て日本にきた<仏教>で、しかも変容は原型をとどめず、尚日本での独自進化?を遂げています。
<死者を弔い、成仏を願う>と言う段階で、儒教的思想がぷんぷんします。
もともと、仏教の開祖というのか、教えを始めたのはゴーダマ・シッダルタ=釈迦族の皇子であるお釈迦さまです。方便と言う言葉ものこされているように、お釈迦様はその時々の場面や相手によって語り口を変えて諭した
と後代の書物に書かれています。
その当時にお釈迦さまが書いた書物がある訳でなく、それぞれの弟子が語った記憶をまた誰かが書いた代物で本当のところはどうなの?と言う部分があります。
特に仏教と言うと、中国で訳された経典や中国で発明?された経典が日本に伝わったものが主流なので本当の本当が見えてこないのではないでしょうか?

葬式の例で言うと、お釈迦様は自分の葬儀は在野の信者が取り仕切るので、教団にいる弟子たちは修行にはげみなさいと言ったとか言う話です。
葬儀をしない、或いはタッチしない仏教宗派もあり、仏教=葬儀は普通ではありません。葬式仏教になった日本の仏教宗派が特別なのです。

話を戻します。
仏壇には仏像や仏画、或いは声明(お経の一節)の文字を祀る”三間”があり、その下の段に位牌などを置いたりもします。

浄土真宗では、この位牌は原則的には置きません。位牌は儒教の教えによるものだから、その代わりと言ってはなんですが、”過去帳”を置きます。代々のご先祖さまの月命日に法名(あるいは俗名)などを書いておきます。1日から31日の間に月の末尾が同じ日に亡くなった遺族の法名などを書くのです。
あるいは、仏壇も内側がすべて金ピカの仏壇を推奨する宗派もあります。極楽浄土を現わしているらしいです。

「仏壇を説明するためには、まず、この『位牌』から説明する必要があるでしょう。
今生の寿命が尽き、人が新たに逝きますと、葬儀の場から、四十九日忌の間までは、通常「白木の位牌」で祭祀されます。白木に板に、法号(宗派によっては、戒名、法名などとも言います)や没年、享年(行年)、俗名などが墨書されます。その白木の位牌が塗り位牌に換えられるのは四十九日忌からです。」

「どうして位牌が、死者の霊魂の依代(よりしろ)になったのでしょうか。」

「日本仏教は、中国大陸から渡来してきた舶来の宗教です。日本に入ってからは・・・神道や自然崇拝などと混淆・習合してきました。けれども、中国で仏教はすでに儒教や道教と、混淆してきました。」

位牌の原型は、儒教における”神主””木主”と呼ばれているものです。その位牌を納める箱を「櫝(とく)」と言いました。仏を入れるのが「龕(がん)」と呼んでいます。
仏壇は、儒教の上記の要素を取り入れているとも言えます。

「人が死んだ状態を『屍(し)』といいます。屍を収める箱を棺(かん)と言います。屍が収まると『柩(ひつぎ)』になるのです。霊柩車と呼ぶのはその為です。 略 祖先の祭祀を行なう場所が、墓所であり、寺院であり、家庭にあっては『仏壇』です。
仏壇の仏座・仏殿には、寺院の須弥壇(しゅみだん)の意匠が、ミニチュア化されて組み込まれました。通常、中央の宮殿には、宗旨やご本尊が入ります。・・・」

先祖を敬い供養する前にすべきこと死者を弔うことです。
「日本の墓制は、ある時期から埋め墓と里墓の『両墓制』となりました。・・・仏教の渡来ととともに荼毘が輸入されました。 火葬のことです。 しかし『火葬』は貴族層の一部で行われ、庶民の多くは『土葬』でした。

人間は死ぬと一度は『鬼(やしゃ)』になるという言い伝えがあります。野ざらしになった肉体はやがて腐乱します。同時に魂も生まれたての赤ん坊のように泣き叫び、暴れ回っています。荒魂(あらみたま)の状態です。
この肉体と霊魂を「鎮魂」するために、一定期間置きます。この期間を「もがり」といいます。
その名残が、枕経や通夜として残っています。」

当時の『土葬』は、ほとんどの場合、村里離れた山の頂上付近に共同墓地として作られていたために、墓参を行くにも不便でした。また共同墓地としての土葬は年月がたつと陥没をしたり、山犬や狼に荒らされたりして、気軽に墓参に行ける状態ではなかったために、村里近くにお参りをするためのお墓を作ったのです。それが、家庭にあっては仏壇でした。実は、仏壇の下側の引き戸は、骨の一部を納骨できる場所として作られていたのです。
つまり、仏壇には<参り墓>的な要素も加味されたと思います。家に居ながらにしてお墓参りが出来るのですからね。

お墓の話をします。(僕の読んだ本から)
現代のお墓は、納骨堂とともにカロート式のお墓が一般的になりました。このカロート式のお墓とは、その家庭で亡くなったものが出ると遺骨にして収めます。つまり、死者が出るたびにお墓を開けます。
本来、お墓は死者をねんごろに弔う場所ですから、頻繁にあけるのは<暴き墓>として敬遠されました。それが、現代の家庭の事情で様子が変わってしまったのです。
霊園業者からすれば、このカロート式お墓には、何体のお骨が入りますと営業しているぐらいですから、現金なものです。

それまでは、共同墓地に個人の土葬があっただけです。

各家庭が、<○○家の墓>などと作り始めたのは、明治憲法の<家制度>の考え方が大きかったと思います。また、植民地であった台湾で墓石が大量にとれたために安価な値段で墓石が手に入るようになりました。
また戦争で多くの兵士が亡くなった事も普及の要因だと思います。


ビッグローブのサイト相談でこんな話がありました。
先妻(生母)が亡くなって、後妻にきた継母も亡くなったのですが、子供である自分たちとしては(上の子は先妻の子で、下の子は後妻の子)とてもよくしてくれたので一緒のお墓に入れてあげたいが、親族がお墓の中で先妻と後妻がケンカすると言って反対します。どうしたもんでしょうか?と言う質問でした。

亡骸になってもケンカするいわれはないし、後妻が先妻を追い出してのではなく、死別後に後妻にはいったのだから問題はないはずだが、こう言う話もでるんですね。


話を一番最初に戻します。
1つの家に仏壇が2つ。まず、仏壇は仏様とご先祖さまの同居スペースです。同じ宗派であれば、過去帳を整理して1つの仏壇にすることはできると思います。仏壇に思い入れをする必要はないと思います。
ただ、宗派が違う場合は困ります。
1つの家に目が行くのも、家制度としての<家>が念頭にあるのでしょう。それぞれが同居していると考えればいいのかもしれません。

<家>に目が行く、<仏壇>に目が行く、言わばこの問題ですね。
ご先祖様を敬い、今生きている自分たちを尊重する、これしか解決の道はないですね。

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