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zoom RSS 「父の戒名をつけてみました」朝山実著、中央公論社

<<   作成日時 : 2014/03/04 17:32   >>

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「父の戒名をつけてみました」・・・本の題名の通り、実父が亡くなった時 故郷から離れている実子である著者
が、島田裕巳氏の本「戒名は、自分で決める」を頼りに亡父の戒名を作って、葬儀を執り行おうとしたところから本は始まっている。

ところで、島田氏はオウム真理教発足時には、その活動に理解を示した人物ではなかったろうか?
だからどうという訳ではないが、掲げる当初の思想・理想と実際の行動には少なからず乖離があるのは当然で
評価の時点を見誤ると評価者としての著者の問題にもなってくる危険性を孕んでいる。

著者の兄弟関係は時代を反映していると言える。
<兄>(姉もいるのだが)と言う人は、亡くなった父の長兄の子供で、戦死した兄の妻と子供をその家系を継ぐ形で著者の父が収まったのだ。田舎の本家を絶やさないために祖父が命じたものらしいが、特別なことではない。

色々書かれているが、関心を向けるとしたら、やはり戒名と葬儀の問題だろう。
僕自身もお墓を建立し、父母の遺骨を納める時に墓に名を刻むのだが、俗名を刻んだ。躊躇がないかと言えば
嘘になる。
父母とも日蓮宗のお寺で葬儀をし、戒名も頂いたが僕自身は自称親鸞信者(檀那寺がない)なので、お墓の全面には<南無阿弥陀仏>を刻んでいる。
日蓮宗は葬儀を取り仕切った姉が選んだ(姉の宗派)もので、僕が父母の遺骨を貰ったのはお墓を建立してから5年が過ぎてのことだ。

仏教の本を読めば、習慣・習俗としての葬儀と宗教としての仏教はイコールではないことがすぐに分かるのだが、葬式仏教として生計が成り立っている日本のお寺さんはそこら辺をごまかさずにはいられない。
常識や儒教的道徳をもってしか生き延びることが出来ない日本の仏教は未来がないと言わざるをえない。

ただ、どのように死者を見送ればよいかはまだよく分からない。
僕自身も月命日には浄土真宗のお経を読んだりもする。それがなになのかはよく分からない。
お経で死者が浮かばれるとか功徳が積めるとかは思ってもいないのだが、いまだにちんぷんかんぷんのお経を読んで安堵する自分がいる。


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