「空也上人がいた」山田太一著・・・感想文的な? 

4年前程に京都に行ったとき、六道珍皇寺と六波羅蜜寺をセットで見に行った。
六道珍皇寺は、あの世と行き来が出来ると言う入口の<井戸>があるということで、行ったけど・・・確かに井戸はあった。なんか格子からのぞいてみたんだが、小さなお寺で、あの世との行き来というから構えて行ったけど、肩すかしを食った感じだ。

六道と言うのは、六道輪廻の六道で、死んでからの49日の間に、7日法要ごとに裁かれて、最終的には悟りを開いて?輪廻の循環から解放されるという構図のあの六道だ。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの世界。

その近くに、確か小学校の近くだったかな、六波羅蜜寺がある。
もちろん、空也上人の像を見たいと思っていったのだが、あまりに小さな像だ。
高貴な身分を捨てて、衆生を救うために一介の市聖になって、布教したという。
あるいは、伝染病や飢饉などで街に死体が放置されているのを、一体一体供養し荼毘に付していたとも書かれている。<六道(ろくどう)>という地名も、髑髏原(どくろはら)という言葉が伝えられて、<六道>になったとも言われている。

山田太一は、人気脚本家だからか、「飛ぶ夢をしばらく見ない」と言う本も含めて、テレビドラマにしたらという考えが底にあるんではないかとも想像しています。

今回の「空也上人がいた」も20代の若きヘルパーとアラフォーのケアマネ、80代の老人の奇妙な三角関係と言う構図で、若きヘルパー役は松山ケンイチ、アラフォーのケアマネは名取裕子はどうだろう。室井滋も好きな女優だが、ちょっと違う。(美人じゃなく、スタイルもよくない役者がいい)、80代の老人は三国連太郎[もう少し体の小さな役者がいいが]と言う具合に、テレビドラマにする発想が出てくる。

ただ、空也上人が出てくる必然性がわざとらしくて、「いかにも」的な胡散臭さがあって、これが山田太一の魅力なんだと思う。
山田太一の文学は、エロスの臭いだと思う。その臭いも、映像的というかテレビ的なエロスだ。

若きヘルパーは、痴呆老人の介護に<キレて>、車いすで押していた老人を玄関で放りだしてしまう。その場は、先輩ヘルパーや主任・ケアマネなどが「ヘルパーが躓いてしまった」と納めてくれたが、とうの老人はその6日後に亡くなってしまう。もちろん、放り出したこととの因果関係は認められなかったが、特養を辞めた。
若きヘルパーは、放り出した痴呆の老人にベッドで謝ったが、口がきけない老人の眼は痴呆とは思えない鋭さでその青年を睨んだと思えた。

特養を辞めた後に、アラフォーのケアマネに紹介された老人の個人的介護をすることになった。
その雇われた老人の指示で向かった京都の六波羅蜜寺で出会う空也上人像を下から覗いたときに、キラっと光った目が、亡くなった痴呆老人が最後に自分に向けた鋭い眼差しと重なり・・・

1時間もあれば読める本だ。
空也上人像をしたから見たら、目が光るって書いてあったかな?書いてあったようなそうでないような。

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