意馬心猿・・・<こころ>とはなにか、どにあるのか その⑤

「大辞林」で<こころ>の項目を調べていたら、意馬心猿(いばしんえん)と言う言葉に出くわした。
これは、仏教用語らしく、意味は・・・煩悩・欲情・妄念の抑えがたいのを、奔走する馬や騒ぎたてる猿の制しがたいのにたとえていう、とあった。それは、人生の中で人々が四苦八苦にであった際の状態をさしたものとも言える。
四苦・・・生老病死
八苦・・・愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦
仏教は、上記のようなことからいかに修行の身を離して置くか、或いは動揺をしない心持を保てるか、ということに苦心をした。だから、様々な戒律を釈迦仏教以降作ってきたのだ。

上記のことは、我が身におきる<こころ>模様だが、一方で様々な事象に反応する<こころ>模様だともいえる。つまり、様々な事象からいかに我が身を遠ざけるか、ということに修行の主眼が置かれていたのではないかと思う。
とすると、意馬心猿なる<こころ>模様は、自分の問題よりも、そういう心持ちにさせる状態・事情が問題だと言う事になる。
様々な事象に揺れ動く自分の<こころ>を問題にしながら、その事象そのものも問題だとする考え方=二元論的な捉え方ではないだろうか。

話を現代に持ってこよう。
事件・事故・災害などがあると、被害者・被災者を前にマスコミは、<心のケア>が必要です、<心の専門家>を派遣すべきだと訴えています。
果たして、それは正しいでしょうか?

例えば、僕自身が地震による被災者で、家が崩壊の被害にあったとしましょう。家が崩壊し、当面すむ場所がなく、集合避難場所に寝泊りをする事になったとしても、<心のケア>を要求するでしょうか。
そういう状況に置かれた時に、頭をめぐらすのは、家はもう住めない状態かどうか、隣近所はどうなっているか、家のローンはどうするか、壊れた家の処理はどうするかなどなど。思いつくだけでもいろいろ出てくるし、順序を別にしても切実な問題です。
もし、お上が手助けをしてくれるとしたら、損害控除はどうするか、家のローンは延期・繰り延べが出来るか、壊れた家の解体・処理費用を補助して貰えるか、そんな現実的な処理を聞きたいと思う。
<こころ>の問題などお上に出てきて欲しくないと思う。
親しくもない人間に、悩みや愚痴を打ち明けたいとは、全然思わない。
特に、おじさん年齢になると、教師も医者も自分より年下だから、なおのこと、いらぬおせっかいはしなさんなと言いたいのだ。
自分の<こころ>の専門家は、自分自身でありたいと思うし、もし、自分が他人から「狂っている」とか「おかしくなった」と言われても、他人に怪我をさせない限りは、ほっといて欲しいと思う。
ただ、サラリーマンは会社を休む時には、それなりの理由が必要になるから、その時だけは診断書を書いて貰おう。

と、ここまで書いて、今回のシリーズは終わります。前のカッパシリーズに戻ります。

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